あなたの知らない中国語!

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2021年11月15日(月) 每天五分钟 中国語リスニング 扎根在中国人心里的老故事等16 四大美女・貂蝉2 中国人の心に根付いた昔話等16四大美女・貂蝉2

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「2021年11月15日(月) 每天五分钟 中国語リスニング 扎根在中国人心里的老故事等16 四大美女・貂蝉2 中国人の心に根付いた昔話等16四大美女・貂蝉2」

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原文

今日のリスニング


大家好!上一集我讲到了貂蝉王允的指示下周旋在董卓的吕布之间,将两人的关系搞得支离破碎,最终让吕布杀死了董卓貂蝉能做到这一点当然是利用了其绝世的美貌,但是如果没有她的勇敢和机智恐怕这个任务也是很难达成的。


据说董卓得到貂蝉的当晚即与美人共“寝”。吕布闻之大怒,潜入董卓房后窥探。这时貂蝉正在窗下梳头,见到窗外池中映照出一个人影,马上知道这肯定是吕布。于是貂蝉就故意皱起双眉开始哭泣,表示自己是被迫才从了董卓。之后貂蝉还一有机会就和吕布见面,向他送出秋波。可以说这些“演技”奠定了貂蝉成功离间两人的基础,同时这也是貂蝉在人们心中的形象偏贬义的原因,大多数中国人的印象中的貂蝉是一个擅长勾引别人的“艳妇”。


另外在王允貂蝉献给吕布和董卓之前也是做足了功夫。据说貂蝉有一次在后花园赏月时,忽然轻风吹来,一块浮云将皎洁的明月遮住了。这个情景正好被王允瞧见,在那之后王允逢人就说,我的女儿和月亮比美,月亮比不过,赶紧躲在云彩后面。于是“闭月”就成了貂蝉的代称。


顺便说一下有关貂蝉的美貌还有这么一个传说。山西省忻州市东南三公里的木芝村被传是貂蝉的故里,这儿原来盛产木耳,所以最早被叫做木耳村。但是后来因村中的大槐树下发现了一株千年灵芝,遂改名叫木芝村。这个村里有一个传闻,说早在貂蝉出生三年以前村里的桃树和杏树就都不开花了,直到现在桃树和杏树在这个村里依然难以成活。大家都说这是貂蝉有羞花之貌,让花儿都不好意思开的缘故。


说到这儿需要提一点,那就是和王昭君一样,史书上对貂蝉的描述很少。这两集中提到的貂蝉的故事很多都是来自罗贯中的≪三国演义≫,而这是一本小说,并不是正史。比方说像≪三国志≫、≪后汉书≫等正规的历史典籍中,貂蝉这个人甚至不存在。根据这两本正史的记载,吕布之所以杀了董卓,原因之一是吕布与董卓的侍女私通,一直心里忐忑。或许正是因为真实历史里吕布刺董卓中有这么一处女色的动机,才让后世的文学家们有了开展文学创作的基础吧。也可以说貂蝉被我们后世评为“古代四大美女”之一有很大原因也是因为罗贯中的这本≪三国演义≫的影响(中国最有名的有关三国时期的小说)。


下一集我来介绍一下貂蝉一生的结局,还请继续收听,谢谢。

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今日の単語とフレーズ


勾引

一般指用美色等吸引异性,是贬义词。

美貌などで異性を誘惑ことを指します。マイナスの意味です。


例文:

“新进公司的小王老是勾引我,我该咋办?”“就你这长相还会有人勾引你?别自作多情了。”


訳文:

「新入社員の王ちゃんがしょっちゅう誘惑してくるんだけど、どうすりゃいい?」「そのルックスで誘惑されるわけないだろう。自惚れるな。」

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訳文

今日のリスニング


こんにちは!前回で貂蝉王允の指示で董卓呂布の間を上手く立ち回り、義理の親子である二人の関係をめちゃくちゃにしました。結果董卓を殺すよう呂布をけしかけることに成功したのです。目的が達成できたのはその絶世の美貌のおかげもありますが、彼女の勇敢さと賢さも一役買ったと言えます。


噂では董卓が貂蟬を手に入れたその晩に同じベッドで寝ました。それを知った呂布は怒り心頭になり、本当はどうなっているか確認するためにこっそり董卓の屋敷に潜入しました。ちょうど貂蝉が窓辺で髪の毛を梳いていましたが、窓の外の池に人影が映っているのを見て、それが呂布だとすぐ気付きました。そこで貂蝉はわざと眉をひそめて、自分が董卓に無理やり従わされたという意味を込めて泣き始めたのです。それ以降も呂布に会う度に秋波を送りました。これらの「演技」は貂蝉が二人を仲たがいさせた基礎を作ったと言えます。しかし同時に人々の中の貂蝉のイメージがどちらかというとマイナスになった原因をも作ったのです。大多数の中国人からすれば、貂蝉のイメージは男を誘惑することに長けている「妖艶な女性」になっています。


また王允貂蝉呂布董卓にあげる前にも色々と工夫をしました。ある日貂蝉が裏庭でお月見をしていた時、突然風が吹いて、雲が綺麗な月を隠してしまった出来事がありました(そんなに大した出来事ではありませんが…)。このシーンを目撃した王允は人に会う度に「娘との美人比べで月が負けて、急いで雲の後ろに隠れたぞ!」と言いふらしました。そのため「閉月」という言葉が貂蝉の代名詞になりました。


因みに貂蝉の美貌についてこんな伝説もあります。山西省忻州市から三キロ南東にある木芝村が貂蝉の出身地とされています(所説あり)。元々木耳(きくらげ)の産地でしたので、最初の頃が木耳村と呼ばれていましたが、村の中の大きなエンジュの木の下に千年もある霊芝を見つけたので木芝村に改名しました。この村には一つ伝説があって、貂蝉が生まれる三年前から村中の桃の木やあんずの木は花を咲かなくなったそうです。今でも桃の木とあんずの木はこの村ではなかなか生きられないとのことです。これは貂蝉が美しすぎて、花が恥ずかしくなって咲きたくなくなったからだと言われています。


ここで一つ言っておかなければならないことがあります。王昭君と同じく、歴史上の書物の中に貂蝉についての描写が少ないです。この二話で触れた貂蝉の物語はほとんど羅貫中の≪三国演義≫から取っています。この本は小説であって、正規な歴史書ではありません。≪三国志≫や≪後漢書≫などの正規な歴史書には、そもそも貂蝉という名前の人が存在しません。この二冊の正史によると、呂布董卓を殺した理由の一つは呂布董卓の女中の一人と私通していたから、気が気でなかったからだそうです(逆切れ)。この女を巡るいざこざが実際にあったから、後世の文学者たちはここから創作する道を見つけたのではないでしょうか。貂蝉が後世で「古代四大美女」の一人に数えられたのは羅貫中の≪三国演義≫の創作の影響が大きいと言えましょう(中国で三国時代を描写する小説の中で一番有名な作品です)。


次回は貂蝉の一生の終わり方についてお話ししますので、ぜひお聞きください。ありがとうございます。