あなたの知らない中国語!

「あなたの知らない中国語!」の公式ブログです。毎週Podcast、Google Podcast、Spotify、Anchorとこのブログで配信しております。ご質問・ご意見はそれぞれのエピソードのコメント欄へお願い致します。

2021年11月12日(金) 每天五分钟 中国語リスニング 扎根在中国人心里的老故事等16 四大美女・貂蝉1 中国人の心に根付いた昔話等16四大美女・貂蝉1

あなたの知らない中国語!

 

「2021年11月12日(金) 每天五分钟 中国語リスニング 扎根在中国人心里的老故事等16 四大美女・貂蝉1 中国人の心に根付いた昔話等16四大美女・貂蝉1」

の配信がスタートしました!

原稿は一番下に掲載しております。

 

ご視聴は下記のリンクをクリックしてください!

または各Podcastのアプリで「あなたの知らない中国語」と検索してください。

 

Apple Podcast:https://podcasts.apple.com/jp/podcast/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AE%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E8%AA%9E/id1528116819


Google Podcasts

https://podcasts.google.com/feed/aHR0cHM6Ly9hbmNob3IuZm0vcy8yZmNjYzQxYy9wb2RjYXN0L3Jzcw==

 

Spotify: https://open.spotify.com/show/4qjiCy9BRd9KcC7j9TITM8

 

またこの番組ではご質問を募集しております。頂いたご質問はブログやTwitterで返信したり、一話を設けてご紹介したりすることがあります。

どうぞこの記事のコメント欄にて中国語や中国文化についてのご質問をどしどしご投稿くださいませ!

欢迎您提出各种问题!

……………………………………………………………………

原文

今日のリスニング


大家好!从这一集开始我来给大家介绍一下“古代四大美女”中的第三位,貂蝉。可能玩过光荣的三国志系列和三国无双等三国题材的游戏的朋友们对这个名字已经很熟悉了。没错,貂蝉正是三国时期之前的东汉末年最有名的美女。


因为古书对貂蝉的描述多是她长大之后的故事,所以她的身世不是很明确。有野史写道:其人本姓霍,无名,山西人,与名将关羽为同乡。自幼人才出众,聪敏过人,因而被选入汉宫。也有学者考证说貂蝉姓任,小字红昌,出生在并州郡九原县木耳村,15岁被选入宫。不过这两种说法有一个共同之处,那就是貂蝉入宫后负责管理宫中官员戴的貂蝉冠(汉代侍从官员的帽饰),从此便被人们叫做“貂蝉”。


改变了貂蝉命运的人物是东汉王朝末年的一个叫做王允的司徒(重要官职,相当于丞相)。东汉末年,朝廷被奸臣董卓操纵,眼看就要被完全篡夺。这个王允十分忠心于东汉,他看到这一切后十分焦急,一直想要找到保护东汉王朝的方法。正好在这个时候貂蝉因为朝廷动乱(十常侍之乱),不得不出宫避难,正巧被王允给遇上了。虽然不好说王允在这个阶段就想好了要利用貂蝉为国报仇的计划,但是这次相遇无疑为之后发生的故事做好了铺垫。


王允先是将貂蝉收为自己的义女,然后便开始设下圈套。他发现董卓董卓的义子兼大将吕布都有想当霸王的心,而且都是好色之人,这一点可以利用。于是王允决定利用貂蝉来挑拨这对父子的关系,他先把貂蝉暗地里许给吕布,再在明地里把貂蝉献给董卓。从此以后,貂蝉周旋于二人之间,送吕布于秋波,报董卓于妩媚。把二人撩拨得神魂颠倒。


以为自己已经得到了貂蝉的吕布发现美人竟然被董卓收入怀中,心怀不满。这一天,吕布乘董卓上朝时进到董卓府内探望貂蝉,并邀美人在凤仪亭相会。貂蝉见到吕布后,假意哭诉自己是被董卓霸占的,这让吕布更是愤怒。这时正巧董卓回府,三人撞到了一起。据说董卓也很生气,当场抢过吕布的方天画戟直刺吕布,吕布飞身逃走。从此之后两人之间就开始互相猜忌,再也没有信赖关系了。最终王允说服吕布,铲除了董卓


这就是和貂蝉有关的历史上最有名的故事,不过光是这些的话恐怕她只能成为一个历史上著名的“狐狸精”。下一集我就来讲讲貂蝉被列为“古代四大美女”的其他原因,尽情期待。

……………………………………………………………………

今日の単語とフレーズ


暗地里/明地里

「暗地里」はこっそり、陰でという意味で、「明地里」はその逆で、こっそりではなく堂々と見えるようにという意味です。「暗地里」はよく使いますが、「明地里」は「暗地里」と比較して言う場合にのみ使われます。


例文:

“她在暗地里说你的坏话,你知道吗?”“真的吗?她在明地里和我关系挺好的啊……”


訳文:

「彼女陰ではあなたの悪口言ってるのを知ってる?」「本当に?一緒にいる時は仲良かったけどな…」

……………………………………………………………………

訳文

今日のリスニング


こんにちは!今回から「古代四大美女」第三位(順不問)の貂蝉についてご紹介したいと思います。コーエー社(光栄・KOEI)の「三国志」や「三国無双」シリーズのゲームをプレイしたことのある方ならこの名前をよく知っていると思います。三国時代前の後漢末期において一番有名な美女がこの貂蝉です。


昔の書籍には貂蝉が大きくなってからの物語の記載しかなかったので、彼女の出身についてはあまり分かっていません。野史(稗史)によると、彼女の元の苗字は霍(カク)で、名前はありません。山西省の生まれで、三国時代蜀の名将関羽と地元が同じです。幼い頃からずば抜けた才能を見せ、人より聡明だったそうです。そのおかげで後漢の宮女に選ばれ、王宮入りしました。一方別の学者の検証によると。彼女の苗字は任で、小さい頃の字が紅昌です。並州郡九原県木耳(きくらげ)村の出身で、15歳の時に王宮入りしたそうです。ただこの二つの説に共通点があります。それは貂蝉が王宮入りした後、宮中の官吏たちが被っている「貂蝉冠(後漢官吏の帽子の名前)」の管理を担当していたそうで、それが理由で「貂蝉」と呼ばれるようになったそうです。


貂蝉の人生を変えたのは後漢末期に司徒(丞相に相当する高官)を務めていた王允という人です。当時の後漢は奸臣董卓に操られており、このままだと完全に董卓の掌中になるのは目に見えていました。後漢に忠心の王允はこの現状を非常に懸念しており、王朝を守る方法をずっと模索していました。ちょうどこの頃、貂蝉が王朝内の動乱(十常侍の乱)で仕方なく王宮を出て避難していました。その避難中に王允と出会いました。この段階で王允が既に貂蝉を使って国の敵を取る計画を練っていたとは言い切れませんが、しかしこれから起きる物語の伏線は確実に敷かれました。


王允は先ず貂蝉と親子の契りを交わして娘にした後、罠を仕掛けたのです。董卓董卓の養子(親子の契りを交わした息子)兼武将である呂布の二人はどちらも王になる野心を持っており、ともに美人を好むという弱点を見つけた王允貂蝉を利用してこの親子の関係を破壊する策を思いつきました。彼は先ずこっそりと呂布貂蝉をあげた後、堂々とまた貂蝉董卓に献上したのです。そこから貂蝉は二人の間に立って、呂布には暗に秋波を送り、董卓にはたっぷり色気を使って、二人ともメロメロにしていったのです。


するとどうなったと言うと、貂蝉はもう自分のものだと思っていた呂布はまさか董卓に奪われるとは思わず、心に不満がいっぱいでした。ある日、董卓が朝廷に行った隙を伺って董卓の屋敷に入り、貂蝉に会いました。貂蝉は鳳儀亭で呂布に会うやいなやわざと自分は董卓に無理やり奪われ犯されたと泣きつきました。これを聞いた呂布が更に怒り心頭になりました。ちょうどその時、董卓が帰ってきて、三人が鉢合わせしてしまったのです。噂によると董卓も怒って、その場で呂布から方天画戟(呂布愛用の武器)を奪って呂布を刺そうとしましたが、呂布はその場から逃げたそうです。そこから二人はお互い疑い合い、二度と信頼関係を築くことはありませんでした。最終的には王允の説得もあって、呂布董卓を殺す結末になったのです。


これが歴史上貂蝉に関わる物語の中で一番有名なエピソードです。ただこれだけなら彼女はせいぜい歴史上の有名な「女狐」になっただけでしょう。次回では貂蝉が「古代四大美女」に並べられた理由についてお話しします。乞うご期待。