あなたの知らない中国語!

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2021年10月22日(金) 每天五分钟 中国語リスニング 扎根在中国人心里的童话・寓言・神话・老故事13・上 中国人の心に根付いた童話・寓話・神話・昔話13・上

あなたの知らない中国語!

 

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原文

今日のリスニング


大家好!今天我要介绍的这个成语想必日本人也很熟悉了,叫做“背水一战”。一般形容背后没有退路,所以不得不与敌人决一死战。乍一听似乎有一种很绝望的感觉,因为这等于把战斗的结果和自己的命运交给了人的生存本能或者说“狗急跳墙”的力量。但是实际上“背水一战”的背景中还有很多其他的要素在里面,绝不是单纯的拼命。


背水之战发生在楚汉相争期间的一次叫做“井陉之战”的战役中。楚国和汉国之间有一个不大不小的国家叫赵国,这个赵国和楚国也好和汉国也好都是敌对关系,而且没有和别的国家结盟。所以汉国的刘邦决定尽快拿下这个夹在中间的国家,扩展自己的势力,于是便派了大将军韩信前去攻打赵国。但是因为刘邦自己正在各地和楚国的项羽死磕,分不出兵力,所以只给了韩信3万兵力(据说还不是精锐)。而赵国的部队有二十万,数量简直是天差地别。而且赵国防守的井陉是一个狭窄的山口和山谷,不但行军困难,而且一旦遭到来自山上的攻击的话很容易就全军覆没。汉军要想抵达山谷还必须渡过眼前的一条大河,这对远征而来的汉军无疑是雪上加霜。


面对如此巨大的差距和困难,被后世称为“兵仙”的韩信不是一开始就打算只依赖“背水一战”的。他先是派出大量的探子,打探赵国打算采取的战术。当得知赵国不打算用计,而是要和自己正面交锋后才开始布置战术。韩信首先派出两千精锐骑兵,每个人带着一面汉军的旗帜,然后让他们悄悄地从侧面的山林里绕到赵军侧后方的大营附近埋伏好。下一步韩信趁着夜晚让大部队尽数渡河,并安排一部分部队驻留在河边,这就是“背水”。随后他指挥大部队开始和赵军正面交锋。


没打多久汉军就假装撤退,一直退回到了部队驻守的河边。面对紧追不舍的赵军,在这儿背水一战的士兵们发挥出了巨大的拼劲,让赵军无法在短时间之内获取胜利。趁着这个机会,早已埋伏好的骑兵部队偷袭防守松懈的赵国大营,将其占领,并在大营里插满汉军的旗帜。而赵军见迟迟打不赢背水一战的汉军,于是打算暂时撤回大本营,等明天再打,可是却发现自己的老家已经被对方占领了。慌乱不已的赵军不知道该怎么办才好,被韩信的部队两面夹击,二十万大军输给劣势重重的三万部队的故事就这么诞生了。


听完战斗的详情之后大家可以发现韩信的背水一战并不是完全在赌博,也不是把宝都压在士兵会拼死一搏上,而是有理由有计划地行动。下一集我们来讲讲韩信本人对这次战斗的评价以及同样想使用“背水一战”却弄巧成拙的故事。尽情期待!

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今日の単語とフレーズ


死磕

对抗到死。

死ぬのも構わないと思って戦う、どちらかが死ぬまで戦う、という意味です。話し言葉です。


例文:

“那个姓李的婆娘竟然敢去向老板告状,我要和她死磕到底!”


訳文:

「あの李ていうアマが!よくも社長に告げ口してくれたな!どっちかが死ぬまで戦ってやる!」

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訳文

今日のリスニング


こんにちは!今日ご紹介する四字熟語「背水の陣」は日本人にも馴染み深いと思います。背後に退路がなく、仕方なく敵と決死の戦いをするという意味です。なんだか絶望的な感じのする表現ですよね。勝敗や自分の運命を兵士の生存本能、あるいは「火事場の馬鹿力」に頼っているように聞こえます。ところが実際の「背水の陣」は背景に様々な要素が存在しており、単純に命を賭する戦法では決してありません。


「背水の陣」は楚漢戦争(項羽と劉邦の戦争)の中の「井陘の戦い」で起きました。当時漢の国と楚の国の間に趙という大きくもなく小さくもない国がありました。趙国は楚国とも漢国とも敵対関係で、同盟国もありませんでした。そのため漢の劉邦はこの真ん中に挟んでいる国を早く取り、勢力を伸ばしたいと思い、大将軍の韓信に趙国攻めを命じました。ただ劉邦自身も各地で楚国の項羽と命がけの戦いをしていた頃なのであまり兵力を分け与えられず、僅か三万の兵力しかあげませんでした(しかも精鋭ではない説があります)。一方趙の軍隊は二十万もあり、数は天と地の差です。しかも趙国が守っている井陘という場所は狭い谷とその入口を指します。行軍が困難な上、通る時もし山の上から攻撃されたらひとたまりもありません。また井陘の谷に着くには先ず目の前の大きな川を渡らなければなりません。遠征しにきた漢軍にとってまさに泣き面に蜂です。


これだけの差と困難を目の前にしながら、後世では「兵仙(兵を使うことにおいての達人中の達人、むしろ仙人レベルという意味)」と呼ばれた韓信は最初から「背水の陣」だけに頼るようなことをしませんでした。彼は先ず大量の間者を派遣しました。趙が計略を使わず、こちらと正面から戦うことを選んだという確かな情報を入手してから布陣を始めたのです。韓信は先ず二千の精鋭騎兵全員に漢軍の旗を携帯させ、こっそり側面の山を通って趙軍後方の本陣近くに待ち伏せするよう手配します。次に彼は夜に本隊に河を渡らせ、一部の部隊を川辺に駐留させました。これが「背水」です。その後韓信は本隊を率いて趙軍と正面からぶつかります。


戦いが始まって間もなく、漢軍はわざと負けたフリをして撤退し、軍を川辺に駐屯していた部隊のところまで退きました。追いかけて離さない趙軍を目の前にして、背水の陣の兵士たちはとてつもない戦意と粘りを見せ、趙軍が短時間で勝利を得ることができませんでした。この隙に待ち伏せの騎兵隊が守備が疎かになった趙軍本陣を奇襲しそれを占拠しました。更に漢の旗をまんべんなく挿しました。なかなか勝敗がつかないため一度退いて明日また戦おうと思った趙軍は帰ってきて見れば本陣が既に取られていました。韓信の部隊は慌てふためいた趙軍を両方向から挟み撃ちし、二十万の兵が多大なハンデを負っていた三万の兵に負けたという物語はこうのように生まれたのです。


この戦の詳細を聞いて、「背水の陣」が単なる賭けではないことが分かります。全てのチップを兵士の死闘ぶりに賭けたわけではなく、計画に従って理由があってそのよう動いたのです。次回ではこの戦いについて韓信本人のコメント及び同じく「背水の陣」を敷いて負けた反面教師の物語についてお話しします。乞うご期待!