あなたの知らない中国語!

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2021年11月24日(水) 每天五分钟 中国語リスニング 三十六计败战计第三计“反间计”・中 三十六計敗戦計第三計「反間計」・中

あなたの知らない中国語!

 

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原文

今日のリスニング


大家好!这一集我继续来介绍在现代依然被经常使用,影响巨大的计策“反间计”。说到“反间”,就必须得讲讲“间谍”。可能现在的日本人既对间谍不太熟悉,可能还会觉得间谍是一种非常卑鄙的手段,不过世界上几乎所有的国家在历史上都曾经大量使用间谍,直到现在依旧如此。


古代著名的兵法书《孙子兵法》就特别强调间谍的作用,认为将帅打仗必须事先了解敌方的情况。而想要准确掌握敌方的情况,既不可靠鬼神,也不可靠经验,“必取于人,知敌之情者也。”这里的“人”指的就是间谍或收集情报的人。《孙子兵法》里甚至专门有一篇介绍如何使用间谍的篇幅叫《用间篇》,指出世上有五种间谍:利用敌方乡村城镇里的普通人作间谍,叫因间;收买敌方官吏作间谍,叫内间;收买或利用敌方派来的间谍为我所用,叫反间;故意制造和泄露假情报给敌方间谍,叫死间;派人去敌方侦察,再回来报告情况,叫生间。

唐代杜牧解释反间计特别清楚,他说:“敌有间来窥我,我必先知之,或厚赂诱之,反为我用;或佯为不觉,示以伪情而纵之,则敌人之间,反为我用也。”


比方说南宋的韩世忠就是在间谍来访时做出一些看似很正常的举动,非常轻松地误导了对方。南宋初期,宋和北方的金经常发生战争。宋高宗有些害怕金兵,不敢抵抗,也因此朝中投降派得势。不过主战的著名将领宗泽、岳飞、韩世忠等坚持继续抗击金兵,使金兵不敢轻易南下。


公元1134年,南宋朝廷派魏良臣、王绘等去金营议和。两人在北上时正好要经过主战派韩世忠镇守的扬州,韩世忠心里非常担心,生怕二人为讨好敌人,泄露军情或妥协让步太多。于是他心生一计,何不利用这两个家伙传递一些假情报给敌人呢?于是等二人经过扬州时,韩世忠故意派出一支部队开出东门。二人忙问军队去向,回答说是去防守江口的先头部队。而且两人进城面见韩世忠时不断有流星庚牌送到。韩世忠故意让两人看,原来是朝廷催促韩世忠马上调动部队守江。


第二天,二人离开扬州前往金营。为了讨好金军大将聂呼贝勒,他们将韩世忠接到朝廷命令,率部队守江的消息告诉了敌人。金军听到这个情报非常高兴,以为现在扬州城内空虚,是一个进攻的好机会。于是,聂呼贝勒亲自率领精锐骑兵向扬州挺进,结果当然是中了韩世忠的计策,金军大败。金军大元帅金兀术听说此事后大怒,将送假情报的两个投降派囚禁了起来。你看,“反间计”是不是很有效呢?


下一集我将继续介绍反间计的例子,还请大家收听,谢谢。

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今日の単語とフレーズ


生怕

〇〇をする/されるのではないかと特に心配すること。書き言葉寄りです。


例文:

“老板每天一有空就望望窗外,生怕哪一天警察突然来抓他。”“赚黑心钱,遭报应了不是。”


訳文:

「社長は暇さえあれば窓の外を覗いてた。急に警察が自分を捕まえに来るのではないかとてても心配してるみたい。」「違法な稼ぎをしてたからだよ。罰が当たったね。」

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訳文

今日のリスニング


こんにちは!今回は引き続き現代でも影響が大きく、よく使われている計略である「反間計」についてご紹介したいと思います。「反間」を話す前に先ず「間者」についてお話ししなければなりません。今の日本人は間者やスパイについてあまり馴染みがないかもしれず、スパイは卑怯な手とさえ思っているかもしれません。しかし世界中ほぼどの国も歴史上大量にスパイを使っています。今でもそうです。


古代有名な兵法書である『孫子(の兵法)』の中にスパイの機能を殊に強調しています。戦争の時、将校は必ず事前に敵の状況を把握しなけれなりません。敵の状況を正確に把握するためには神様頼みではなく、経験頼みでもなく、「人から取る、敵の状況に詳しい人から取る」べきだと言っています。ここの「人」は即ちスパイや情報屋です。『孫子(の兵法)』には「用間編」というスパイの使い方について書いた編まであるぐらいです。その中には世の中には五種類のスパイ、間者が存在すると書いています。敵の町人や村民をスパイに使うのは「因間」、敵の官吏役人を買収してスパイに使うのは「内間」、敵のスパイを買収か逆に利用するのは「反間」、わざと偽情報を作って敵のスパイに漏らすのは「死間」、敵地を偵察するためにスパイを派遣し、そのスパイが無事帰ってきて報告できたことを「生間」とそれぞれ呼びました。唐の時代の杜牧が「反間計」を分かりやすく説明しています。彼曰く、「敵からスパイが派遣された際、それを事前に知らなければならない。そのスパイに大金を出して買収し、自分のために働かせるか、知らないふりをして、偽情報を握らせて帰し、敵のスパイを自分のスパイのように利用するのだ」。


例えば南宋の時代の韓世忠はまさに来訪したスパイに何気ない行動を見せて、簡単に相手を騙したのです。南宋初期、北方の金とよく戦争をしていました。宋の高宗は金の軍勢に怯えて、抵抗しようとしません。そのため、朝廷内の「投降派(反戦派)」が勢いを得ました。ただ主戦派の名将宗澤、岳飛、韓世忠らが金への抵抗を諦めていなかったので、金も簡単には南に下ることができませんでした。


1134年、南宋の朝廷は魏良臣、王絵らを金へ派遣し、和平を求めようとしました。二人が北上する途中ちょうど主戦派の韓世忠が守っている揚州を通ります。韓世忠は二人が敵の機嫌を取るために軍事情報を沢山渡したり、大きく譲歩したりしないか心配でした。そこで一計を案じた彼は二人を利用して、敵に偽情報を流そうではないかと思いついたのです。二人が揚州を通る際、韓世忠はわざと部隊を東門からどこかへ派兵するように見せました。二人に行方を聞かれると、軍隊の指揮官は近くの河口を守りに行くと答えました(長江か淮河かは不明)。さらに韓世忠と面会している途中にもしきりに流星庚牌(至急派兵せよとの命令を伝えるための符)が届きます。韓世忠はわざとそれを二人に見せて、そこには朝廷が韓世忠に至急川を守るよう兵を出せと書いていました。


翌日、二人は揚州を離れて金へ向かいました。金軍大将聶呼貝勒(「貝勒」は爵位です)の機嫌を取るために「韓世忠が朝廷の命を受けて部隊を川の方へ移した」との情報を伝えました。これを聞いて金軍は大いに喜び、空になっている揚州城を攻める良いチャンスだと判断しました。聶呼貝勒が自ら精鋭の騎兵を率いて揚州へ進行しましたが、もちろん韓世忠の策略にハマり、金軍が大敗する結果となりました。これを知った金軍元帥金兀朮が激怒し、偽情報を伝えた二人の「投降派(反戦派)」を禁固しました。如何でしょうか。「反間計」はなかなか効くでしょう?


次回の「三十六計」では引き続き「反間計」の例を紹介しますので、どうぞお聞きください。