あなたの知らない中国語!

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2021年10月25日(月) 每天五分钟 中国語リスニング 扎根在中国人心里的童话・寓言・神话・老故事13・下 中国人の心に根付いた童話・寓話・神話・昔話13・下

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原文

今日のリスニング


大家好!上周五22号的时候我把“背水一战”的大致经过介绍了一下,不知道大家还记得吗?如果忘记了的话请大家再去听一遍上周五的这一集,我在这儿就不再重复了。今天我来聊聊“背水一战”,也就是井陉之战之后发生的事情。


井陉之战汉军大胜赵国之后,赵国的谋士李左车被汉军捉住了。但是韩信知道这个人有才能,不但没有处决,甚至礼遇他。在交谈中李左车问韩信为什么要背水排阵,韩信回答:“兵书上说‘置之死地而后生’,只有把汉军置于死地,他们才会为求生而拼命。”韩信显然没有打算把心里想的东西都告诉李左车,因为“背水一战”能获得成功并不单纯是这一个原因。


首先,韩信不是简单地背水列阵,他同时还派出奇兵袭击赵营,即采用了“声东击西”的战法。从某个角度来说背水的部队只是一个诱饵。拿下赵军大营之后还形成了前后包夹的形势,可以说是“关门捉贼”的一种体现。同时这个典故也显示了对阵时轻敌的危害。赵军看到韩信布下背水之阵后产生了轻敌的思想,没有采取应该采取的进攻方式,而是选择正面作战,终于一败涂地。


这些“背水一战”以外的条件看似是小事,但是其实却非常重要,可以说正是这些安排和战况成就了“背水一战”的成功。历史上正好有一个反面教材可以很好的说明这一点。明代小说家罗贯中撰写的经典小说《三国演义》中写道曹操曾经在汉水附近派大将徐晃,副将王平和蜀国的赵云及黄忠打过一场仗。当引军来到汉水岸边后,徐晃命令前方的部队渡河列阵。在遭到王平的劝阻后徐晃说:“昔韩信背水为阵,所谓‘置之死地而后生’也。”王平坚决反对这种做法,他认为:“韩信料敌无谋而用此计。今将军能料赵云、黄忠之意否?”


可是徐晃固执地坚持自己的意见,搭桥带队过河。可是从早晨等到黄昏,蜀军一直按兵不动。魏军人马疲乏正要撤退时,赵云、黄忠突然从两侧杀出,左右夹攻。魏军大败,士兵纷纷被逼地落入汉水,死亡无数。韩信和徐晃都是背水列阵,为什么一胜一败呢?这一方面是因为自己没有同时准备刚才所说的其他计策来辅佐,只依靠“背水一战”。而且战斗中徐晃的部队一直都把桥留在河上,河对岸还有曹操大军压阵助威。所以每一个将士都有求生之路,并不是“死地”。他们打得赢就打,打不赢可以跑。你说这怎么可能激起将士们拚死奋战的精神呢?


但是我想更重要的原因应该是孙子兵法中所说的“知己知彼,百战不殆”。军事中的计策也好布局也好不在于你的战术有多精妙,有多么厉害的奇思异想。关键在于你如何了解对手并掌控对手,也就是说你的计策必须要是针对眼前这个对手的才行。对手变了、地形变了,时机变了,战术自然会改变。韩信在战斗之前派出大量间谍掌握敌军的实际情况,对症下药,得知对方要正面决战之后才布置了“背水一战”和绕后埋伏等一系列战术。而徐晃则完全无视对手的情况,只是生搬硬套先人的战术,不失败才怪呢。大家如果有一天想要使用三十六计的话注意一定不要纯粹照抄,要根据你所处的情况和对手来随机应变哦。
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今日の単語とフレーズ


轻敌

小看敌人。

敵を見くびる、敵を甘く見る、敵をなめるという意味です。


例文:

“这次考试据说很简单。”“你考试经常犯小错误,千万不要轻敌!”


訳文:

「(母親に)今回の試験易しいって。」「〇〇君ケアレスミスが多いから、甘く見ちゃいけませんよ。」

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訳文

今日のリスニング


こんにちは!先週金曜日22日の回で「背水の陣」のおおよその経過を紹介しました。皆さん覚えているでしょうか。忘れた方はもう一度先週金曜日の回をお聞きください。重複になるので、今回は省きます。今日は「背水の陣」、つまり井陘の戦いの後の話についてお話したいと思います。


井陘の戦いにおいて趙国に快勝した漢軍は趙国の策士李左車を捉えました。才能のある人材だと知っていた韓信は李左車を処刑するどころか、礼遇しました。会話をしている中、李左車は韓信に何故背水の陣を敷いたか聞きました。韓信は「兵法書には「死地に置かれてこそ生きられる」とある。漢軍が死地に置かれたからこそ生きるために命を懸けて戦った」と答えました。韓信は明らかに思っていることを全て李左車に話すつもりはなかったでしょうね(また長々と自分の戦略が如何に素晴らしかを語るのが変と思ったのかもしれません)。何故なら「背水の陣」が成功したのはこの理由だけではないからです。


先ず韓信は単に背水の陣を敷いただけではありません。奇兵を出して趙の本営を襲撃させて、いわゆる「声東撃西」の戦法を取りました。背水の部隊はある意味おとりなのです。また趙軍の本陣を取った騎兵は本隊と挟み撃ちの形を形成し、ある意味「関門捉賊」の陣を成したのです。同時にこの物語は敵を軽視してはいけないことを教えてくれました。韓信の背水の陣を見た趙軍は敵をなめてしまい、取るべ攻め方を取りませんでした。正面衝突を選び、結局大敗しました。


小事にさえ見えるこれら「背水の陣」以外の事は実は非常に重要です。これらの手配や戦況があったからこそ「背水の陣」が成功したと言って過言ではありません。ちょうどこれを説明できる反面教師が歴史上存在するのでご紹介します。明の時代の小説家羅貫中が書いた有名な小説『三国演義』には曹操が蜀の国の趙子龍及び黄忠と戦うために、漢水という川の近くで大将徐晃、副将王平に出陣させたことが書かれています。軍を率いて漢水の近くまで来た徐晃は前方の部隊に川を渡るよう命じました。副将王平の制止を受けた徐晃は「昔韓信が背水の陣を敷き、「死地に置かれてこそ生きられる」」と言った」と答えました。それに対して王平は「韓信は敵の無策を分かってその計を使いましたが、将軍は趙子龍と黄忠の心が読めますか?」とこのやり方に断固反対しました。


しかし徐晃自分の意見を固持し、橋を作って部隊を率いて川を渡りました。ところが朝から夕方まで待っても(途中ずっと蜀軍を挑発していたらしい)蜀は襲ってきません。魏軍が疲れて一旦引こうとした時、趙子龍と黄忠がいきなり両側から挟み撃ちの態勢で攻撃してきました。魏軍が大敗し、兵士たちも次々と川に落ちて無数の兵が死にました。韓信徐晃も「背水の陣」を敷きましたが、何故一方は勝って一方は負けたでしょうか。一つは先ほど分析しましたその他の補助策がなく、「背水の陣」のみに頼っていたからです。しかも戦闘中徐晃軍はずっと橋を川の上に掛けたままで、向こう岸には曹操の大軍も待機していました。つまり将校と兵士たちには生きる道が残されていたのです。死地ではありません。勝てそうなら戦い、勝てなさそうなら逃げることができます。これでは死に物狂いの奮闘ぶりを引き出すことはできません。


しかしもっと重要な理由は孫子の兵法に書いてある「知己知彼,百战不殆(彼を知り己を知れば、百戦して殆(あや)うからす)」にあると思います。軍事における策も布陣もその策と布陣自体がどれほど精妙なものか、どれほど奇想天外かが一番重要ではありません。肝心なのは相手を知って掌握し、相手に対応する策を打ち出しているかどうかです。相手、地形、タイミングなどが変われば、当然取るべき策も変わります。韓信は戦う前に大量の間者を放ち敵の実情を把握し、正面決戦してくることを知ってそれに対処したための策、「背水の陣」や回り込み待ち伏せ作戦などを講じました。一方徐晃は相手の状況を無視して、先人の策を丸写ししただけでした。負けない方がおかしいですよね。皆さんももし三十六計を使う日があれば丸写ししないよう気を付け、自分の状況や相手によって臨機応変にお使いくださいね。