あなたの知らない中国語!

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2021年11月5日(金) 每天五分钟 中国語リスニング 扎根在中国人心里的老故事等15 四大美女・王昭君1 中国人の心に根付いた昔話等15 四大美女・王昭君1

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「2021年11月5日(金) 每天五分钟 中国語リスニング 扎根在中国人心里的老故事等15 四大美女・王昭君1 中国人の心に根付いた昔話等15 四大美女・王昭君1」

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原文

今日のリスニング


大家好!从今天开始我来介绍“古代四大美女”的第二位,王昭君。关于王昭君的史料非常少,所以后世对她的了解也没有那么详细,所以和王昭君有关的故事推测的成分很多。比方说有关王昭君的名字就有不同的说法。主流学说认为她姓王,名嫱,字昭君。也有人认为王昭君除了姓王可以确定之外,她的名、字都不详,很可能是本来就没有,后世因其政治封号才习称“王昭君”。


王昭君(公元前52年-公元前19年)出生于汉朝南郡的某个地区(现湖北省兴山县)。王昭君的父亲是一位姓王的种地人,据说这个庄稼人因为一直没有孩子,便到附近的屈原庙进香许愿,祈求得到一个像屈原那样忠于国家、热爱人民的后代。结果真的很灵验,八月十五的夜里,他的妻子梦见一轮明月投入怀中,不久便生下一个比天仙还标致的姑娘,这就是王昭君。昭君从小聪明伶俐,勤奋好学,心地善良,特别喜欢望月吟唱。


其父老来得女,将她视为掌上明珠。公元前36年,汉元帝昭示天下,遍选天下美女来做自己的妃子。王昭君因其美貌被选为南郡地区的第一名。元帝下诏,命其择吉日进京。其父云:“小女年纪尚幼,难以应命”。无奈圣命难违,公元前36年仲春,王昭君泪别父母乡亲,登上雕花龙凤官船顺香溪,入长江,逆汉水,过秦岭,历时三个月之久,于同年初夏到达京城长安入宫。


历史上的君王都喜欢美女,大家是不是觉得大美女王昭君入宫后很快就得到了汉元帝的宠爱呢?实际上事实完全相反,王昭君入宫后有将近三年被遭到冷遇。原来汉元帝因召集来的后宫女子众多,没法亲自挑选,于是就命令画工毛延寿给女子们画像,然后自己通过看画来挑选。于是后宫的女子们为了得到皇帝的宠爱,纷纷用重金或身体贿赂毛画师,画师就将这些人画得美貌非凡。但王昭君性格正直,不肯行贿,于是毛延寿就故意将王昭君的花容月貌画得很普通。也有一种说法是说他在王昭君的眼睛下面点了一点,结果王昭君没能让汉元帝看上,将近三年寂寞地待在后宫里。


那么王昭君是不是会就这样无名一辈子呢?当然不会。下一集我就来聊聊王昭君人生中最大的转折点,也是她被列入“古代四大美女”的最主要的原因,尽情期待。

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今日の単語とフレーズ


灵验

有效或预言准确。

効き目がある、効く、もしくは予言が当たった、よく当たるという意味です。


例文:

“昨天那个寺庙的高僧说我今天感冒能好,太灵验了!”“真正灵验的是昨晚吃的感冒药吧?”


訳文:

「昨日あそこのお寺の住職さん(もしくは位の高い僧侶)が私の風邪は今日治るって言ってくれたけど、本当に当たった!」「本当は夕べ飲んだ風邪薬が効いたんじゃないの?」

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以上です。良い一日を!

祝大家每天过的快乐!再见!

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訳文

今日のリスニング


こんにちは!今回から「古代四大美女」の二番目(西施が比較的有名ですが、ランキングではないので順不問と認識しています)、王昭君についてご紹介したいと思います。王昭君に関する資料が非常に少ないせいで、後世が彼女についての認知もそこまで詳しくありません。そのため彼女にまつわる物語に多分に推測が入っていることが多いです。例えば王昭君という名前に関しても所説あります。苗字が王で、名前が嫱で、字(あざな)が昭君という説が主流ですが、苗字の王以外全て不詳という説もあります。元々名前も字も分かっておらず、政治で得た呼称(封号)で王昭君と呼ばれるようになったという説です。


王昭君(紀元前52年-紀元前19年)は前漢年代のの南郡地域のどこか(現在の湖北省興山県)で生まれました。父親は王という苗字の農民ですが、ずっと子宝に恵まれていなかったので、近くの屈原(戦国時代の政治家兼詩人)を祭っているお寺にお線香をあげて、屈原のような国に忠心で、民を愛する子供をくださいとお願いしました(多分に創作を感じます…)。結果とても効きました。十五夜に、王さんの奥さんは明るい月が懐に入ってくる夢を見たそうで、その後程なくして仙女より整っている女の子が生まれました。この子が王昭君です。彼女は小さい時から聡明で機敏で、勉学が好きで、心の優しい子でした。特に月を見上げながら歌を歌うのが好きだったそうです。


年老いて得た子ですから、父親にとって目に入れても痛くない娘でしたが、紀元前36年、漢の元帝が天下(自分の国範囲)に通告を出し、美女を選び、自分の妃とすることが決まりました。王昭君はその美貌で南郡地域一位となり、元帝の詔に従い、吉日を選び首都に向かわなければならなくなりました。この時父親は「娘はまだ若く、命令に答えることはできません」と言いましたが、皇帝の詔に逆らうことはできませんでした。紀元前36年(16歳)、王昭君は親や村人と涙の別れを告げ、朝廷が派遣してきた龍や鳳凰や花が彫られている船に乗り、香渓から揚子江に入り、漢水(川の名前)を上って秦嶺山脈を通って、三か月も掛けて同年夏に漢の首都長安(現陝西省西安)に到着し、王宮に入りました。


歴史上の君主たちは皆美女がお好きですから、とんでもない美人王昭君が王宮入りすればすぐ漢の元帝の寵愛が得られると思ったでしょう?実際は真逆でした。王昭君が王宮に入ってから三年近く冷遇されました。実はあまりにも沢山の女性を集めたので、漢元帝が自ら選ぶことができませんでした。そこで元帝は絵師の毛延寿に女の子たちの絵を書かせて、絵を見て選ぶことにしたのです。そこで女の子たちは皇帝の寵愛を得るためにこぞって毛絵師に賄賂を渡しました(金か体)。毛絵師もそういう女の子の絵を殊に美しく描いたのです。しかし王昭君は正直で嘘偽りでごまかさない性格で、賄賂を渡しませんでした。賄賂をもらえなかった毛絵師は王昭君の美貌にもかかわらず、普通の女性のように描きました。一説によると王昭君の目の下に点を付けたそうです。結果王昭君は漢元帝の目にかなわず、三年近く大奥で寂しく過ごすことになりました。


では王昭君は無名のまま一生終えることになるでしょうか。もちろんそうはなりません。次回では王昭君の生涯で最も大きなターニングポイント、同時に「古代四大美女」に数えられた理由でもある出来事についてお話しします。乞うご期待。