あなたの知らない中国語!

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2021年11月9日(火) 每天五分钟 中国語リスニング 扎根在中国人心里的老故事等15 四大美女・王昭君3 中国人の心に根付いた昔話等15 四大美女・王昭君3

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「2021年11月9日(火) 每天五分钟 中国語リスニング 扎根在中国人心里的老故事等15 四大美女・王昭君3 中国人の心に根付いた昔話等15 四大美女・王昭君3」

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原文

今日のリスニング


大家好!上一集中我讲到了王昭君为了改变自己的命运自己选择出塞,即离开自己的祖国,远赴异国匈奴,嫁给了南匈奴首领呼韩邪单于。客观来讲这是一次政治婚姻,中文中把这种古代中原王朝统治者为了达成某种目的而与外族或者外国之间进行的政治婚姻叫做“和亲”。


王昭君抵达匈奴后,被称为宁胡阏氏(yān zhī)。这个“阏氏”的意思是单于的正妻,即匈奴的王后的意思,象征她将给匈奴带来和平、安宁和兴旺。聪明过人,爱读诗书的王昭君不负众望,把不少中原文化带到了匈奴(具体把什么文化带了什么过去不明)。在呼韩邪单于死后,王昭君按照匈奴的习俗嫁给了呼韩邪单于的儿子复株累若鞮单于(呼韩邪单于和其他妻子生的儿子)。她劝复株累若鞮单于继续与汉修好,也请汉支持复株累若鞮单于。在她的影响下,汉和匈奴和睦相处了约六十年。王昭君死后据说匈奴人把她葬在大青山,甚至奉她为神仙。


在这儿再次强调一下,各种史书中有关王昭君的记载很少,和她有关的故事很多包含有大量的推测和想象,不明真伪,请大家注意。举一个例子,“昭君出塞”的故事从西汉到元初就经历过一个演变的过程。有关王昭君的描述最早见于≪汉书·元帝纪≫和≪匈奴传≫,里面只是简单地描述了一位宫女嫁给单于的经过。而到了晋代,葛洪写的≪西京杂记≫在记载昭君的故事时增加了毛延寿、陈敞、刘白等多位画工受贿等情节。不过比≪西京杂记≫稍后的≪后汉书≫中则并没有这样的描写。而此后的笔记小说和文人诗篇不仅采用了这些说法,而且还把受贿的画工集中到毛延寿一个人的身上。


而≪王昭君变文≫这一作品中的写法则更是完全不同,把汉元帝时期的形势描绘为匈奴强大、汉朝虚弱,把昭君出塞看作朝廷屈辱求和的表现。里面还说昭君到匈奴后因思念故乡,愁肠百结,终不可解,直至愁病身亡等情节。昭君的故事如此多变,看来古人丰富的想象力既给我们带来了很多的乐趣,也给后世正确认识史实造成了不小的影响。


另外刚才提到了王昭君死后被匈奴人葬在大青山,但是其实昭君的墓在哪儿也是各有说法的。国内这种事情非常常见,围绕古代名人的出生地、坟墓、住过的地方等常常会有好几个县市跑出来争夺,大家都说自己才是正牌的。我个人认为应该是处于经济上的理由才会这么争抢的吧。比如昭君墓除了山西省大青山墓之外还有内蒙古大黑河墓和河南省许昌市襄城县的昭君墓等说法。


好了,“古代四大美女”第二位王昭君我就讲到这儿。因其悲情的“出塞”的故事,历史上的文人墨客写了约有700首有关王昭君的诗歌(有名的有比如李白杜甫白居易、李商隐、王安石郭沫若、田汉、费孝通、老舍等的作品),大家如果有兴趣的话可以去查一下哦。

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今日の単語とフレーズ


不负众望

在大家都很期待的情况下没有辜负大家的期望,获得了预想的成绩或结果。

大勢に期待されている状況でそれを裏切らず、予想した成績や結果を得ること。書き言葉です。


例文:

“苏炳添选手不负众望闯入了男子100m跑决赛!”“别给人家太大压力哦。”


訳文:

「蘇炳添選手が皆の期待を裏切らず、男子100メートル走決勝に進出したね!」「あまり選手にプレッシャーを掛けるような言い方は辞めてね。」

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訳文

今日のリスニング


こんにちは!前回では王昭君が自分の運命を変えたく、「出塞」、つまり祖国を離れることを選びました。彼女は遠い異国である匈奴に嫁ぎ、南匈奴の呼韓邪単于(「単于」は匈奴の王様の呼称)の妻になりました。客観的に言うとこれは政略結婚です。古代では中原(現河南省洛陽と開封の間のエリアを中心とする黄河中流から下流の地域)の王朝が何らかの目的で異民族や外国とこのような政略結婚を行うことを「和親」と呼びます。


匈奴では王昭君に「寧胡閼氏」という称号を与えました。「閼氏」は「単于の正妻」の意味で、すなわち匈奴の王妃ということです。これは彼女が匈奴に平和、安寧と繁栄をもたらしてくれるという願いを込めた称号です。ずば抜けて頭が良く、読書を好む王昭君も皆の期待を裏切らず、沢山の中原の文化を匈奴に持ち込みました(具体的にどんな文化を持ち込んだかは不明)。呼韩邪单于が亡くなった後、彼女は匈奴のしきたりに従い、呼韩邪单于の息子である復株累若鞮単于(呼韩邪单于が他の奥さんと生んだ息子)と結婚しました。王昭君は引き続き漢と良好な関係を保つよう復株累若鞮単于に諌言しました。彼女の影響もあり、漢と匈奴は六十年間の平和を保ちました。王昭君の死後、匈奴人は彼女を大青山に埋葬し、神様として祀りました。


もう一度言いますが、各種歴史資料では王昭君に関する記載が極度に少なかったです。そのため彼女にまつわるエピソードには多分に推測や想像が入っており、真偽は不確かですのでご留意ください。例えば、王昭君に関する記載は後漢から元の初期にかけて変わってきました。最初に王昭君に触れた『漢書元帝紀』及び『匈奴伝』には単純に大奥にいる女性一名が単于に嫁いだとしか書いていませんでした。晉の時代になると、葛洪という人が書いた『西京雑記』には毛延寿、陳敞、劉白など何名かの絵師が賄賂を受け取ったという内容が入っていました。ところで『西京雑記』より少し後に書かれた『後漢書』にはそのような描写はありませんでした。一方それ以降の小説や詩歌にはこのエピソードが書かれていただけでなく、賄賂を受け取ったのは毛延寿一人になりました。


また『王昭君変文』という作品はまた全然違う内容になっています。漢の元帝の時代には匈奴のほうが強く、漢が弱いため、「昭君出塞」は和平を求めるための屈辱的な選択だと書かれています。更に王昭君匈奴に行ってから毎日故郷を思い、その郷愁が解けず、病で亡くなってしまったとまで書いています。王昭君の物語のバリエーションから見ても、古人の豊富な想像力が私たちに楽しみをもたらしてくれると同時に、後世が史実を認識する大きな障害にもなっていると言えます。


また上文で匈奴人が王昭君を大青山に埋葬したと書きましたが、実は彼女のお墓がどこにあるかについて所説あります。中国ではこの種のことが非常に多いです。ある古代の有名人の出身地、お墓、住んでいた場所などをめぐって、幾つかの県や市が湧いてきて争います。皆が自分が正しいと言いますが、恐らく経済的な理由でこのような場所争いに参加しているのでしょう。王昭君のお墓で言うと山西省大青山の他に、内モンゴル大黒川と河南省許昌市襄城県などが名乗りを上げています。


以上「古代四大美女」第二位(順不問)の王昭君について触れてきました。悲しい「出塞」物語があったため、歴史上の文化人たちが王昭君について約700もの詩歌作品を創作しました(有名どころで言うと李白杜甫白居易李商隠王安石郭沫若、田漢、費孝通、老舎などが書いています)。皆さんもしご興味があれば是非調べてみてください。