あなたの知らない中国語!

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2021年11月8日(月) 每天五分钟 中国語リスニング 扎根在中国人心里的老故事等15 四大美女・王昭君2 中国人の心に根付いた昔話等15 四大美女・王昭君2

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「2021年11月8日(月) 每天五分钟 中国語リスニング 扎根在中国人心里的老故事等15 四大美女・王昭君2 中国人の心に根付いた昔話等15 四大美女・王昭君2」

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原文

今日のリスニング


大家好!今天我来讲“古代四大美女”第二位王昭君的第二集。上一集中讲到貌美如花的王昭君虽然被选入宫,但是因为不肯贿赂画师,所以没有被汉元帝看上,在后宫里被冷落了将近三年。而在同一年代,北方的匈奴经过汉军的连续打击,匈奴内部出现了五个单于并立的局面(公元前54年)。最终匈奴分裂成为了南北两个部分,南匈奴的呼韩邪单于向汉朝称臣,成为了汉朝的属国。竟宁元年(前33年)正月,呼韩邪单于入长安朝觐天子,以尽藩臣之礼。在这次朝觐中,呼韩邪单于提出是否可以赐一位妃子给他,相当于让自己当汉朝的“女婿”,汉元帝答应了。提出这个请求的目的之一当然是为了巩固和汉朝的关系,也就是所谓的政治婚姻。


一方面被冷落在后宫的王昭君每日默默地想:我在这里待着就相当于等死,根本无法见君王一面,红颜伴枯灯,等到老了就没人要了。虽然她每天都这样告诉自己,可是弱小的王昭君无计可施。就在这样的环境下她听到皇帝要选宫女嫁给呼韩邪单于的消息,或许她那颗向往追逐爱情的心被重新点燃了(当时王昭君19岁)。不嫁君王嫁单于,汉元帝你不是不选我吗?那就让我自己走出这片压抑的天空,哪怕去往异域,我也要去寻找属于自己的机会。机不可失,失不再来,于是王昭君便自荐愿意嫁往匈奴


出发这一天的早晨,王昭君凝视着铜镜里自己的面容,给自己抹上最鲜艳的胭脂,灿烂如同汉宫中缤纷绽放的桃花,美若出水芙蓉。临行前,汉元帝在皇宫召见了她,精心打扮后的王昭君被带去见曾经日思夜想魂牵梦绕的最有权势的人。汉元帝见到王昭君的美貌大惊,想要留下她,但是自己已经作出承诺,天子怎能失信,所以不得已把王昭君送给了单于。据说汉元帝后来调查此事,发现了画工毛延寿收受贿赂一事,一怒之下将和此事有瓜葛的画师们都给杀了。


出发的日子是一个秋高气爽的日子,昭君告别了故土,一路北去。一路上,马嘶雁鸣,撕裂她的心肝,悲切之感,使她心绪难平。她在坐骑之上,拨动琴弦,奏起悲壮的离别之曲。南飞的大雁听到这悦耳的琴声,看到骑在马上的这个美丽无比的女子后忘记扇动翅膀,跌落地下。从此,昭君就得来了“落雁” 的美称。


王昭君远赴匈奴和亲一事被后世叫做“昭君出塞”,是王昭君一举成名的最大原因,也是她在历史上留下的最大的印记。这儿的“塞”指的是边疆,也就是指王昭君离开自己的国家,前往异国的意思。(当时汉和匈奴的边界主要是长城,所以也有人认为“塞”指的是叫“光禄塞”的一段长城,在现在的包头市固阳县。)


后世认为王昭君远嫁匈奴对巩固汉与匈奴的关系是有利的,但对于昭君本人却是不幸的,因为她可以说是成了一个政治工具。一个柔美的少女骑着骆驼在异国人的簇拥下奔向大漠,风沙弥漫,一步一回首,驼铃声在广阔的天地之间久久回响,那情景该有多么凄凉。所以王昭君能被列入“古代四大美女”之中多是因为她那美丽而凄凉的故事倾倒了天下男人。(还有一种说法是说当然是匈奴较为强大,汉朝则比较虚弱,昭君出塞属于一种朝廷屈辱求和的表现(≪王昭君变文≫)。)


下一集我将来介绍王昭君出塞之后的结果和与她有关的一些其他的故事,也请继续收听!

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今日の単語とフレーズ


倾倒

佩服或爱慕。

才能などに敬服する、女性に恋い慕うことを言う言葉で、日本語の「傾倒」と意味が異なります。書き言葉です。


例文:

“我喜欢她,我为她的才能所倾倒。”“我看你是为她的美貌所倾倒吧?”


訳文:

「彼女が好きだ!彼女の才能に惚れたから!」「美貌に惚れたの違いじゃない?」

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訳文

今日のリスニング


こんにちは!今日は「古代四大美女」二番目(順不問)の王昭君の二回目です。前回は花の如く美しい王昭君が大奥に入ったものの、絵師に賄賂を渡したくなかったため漢の元帝の目に入らず、大奥で三年近く冷遇を受けたというところまでお話ししました。同じ時代に、北方匈奴は長年漢軍と戦ってきたこともあり、匈奴内部では五人の単于(ぜんう。匈奴の君主の呼称で、国王に相当する)が同時に出現し対立する局面になりました。最終的には南匈奴北匈奴の二つに分かれましたが、南匈奴の呼韓邪単于が漢に臣服し属国になるようお願いをしてきました。竟寧元年(紀元前33年)正月に、南匈奴の呼韓邪単于が天子(皇帝)に謁見し、臣下としての礼を尽くすために長安(現陝西省西安市)入りしました。この謁見の中で、呼韓邪単于は自分が漢に婿入りしたいので、妃を一名を妻として受け賜れないかと申し出たのです。漢の元帝がそれを承諾しました。この申し出をした理由の一つはもちろん漢との関係をより強固なものにするためで、いわゆる「政略結婚」です。


一方大奥で冷遇されていた王昭君は毎日一人で考え込んでいました。このままここで待つのはまるで死を待つに等しい。どんなに美しくても皇帝に会えず、毎日消えかかる蝋燭と睨めっこ。歳を取ったらますますもらう人が居なくなる、と。毎日このように自分に言い聞かせていましたが、力が弱いので為す術がありませんでした。このような日々が過ぎていく中で、突然元帝が呼韓邪単于に嫁ぐ妃を探しているという話を聞きました。もしかしたら王昭君が愛を欲しがり、追い求めたい心に再び火が付いたかもしれません(当時19歳)。皇帝のお嫁さんになれないなら単于に嫁ぐ。私を選んでくれない?じゃ自分でこの抑圧された世界から脱出してやる。異国に行こうと自分のチャンスを掴む。一度きりのチャンスと見た王昭君匈奴に嫁ぎたいと自薦しました。

出発の日の朝、王昭君は銅鏡の中の自分の顔を覗いて、一番鮮やかな臙脂を唇に塗りました。この日の彼女は宮殿の中で狂い咲く桃の花のように美しく、汚泥から出て水面で綺麗に咲く蓮のように清楚と言われています。出発に際して、漢元帝が王宮で王昭君を引見しました。綺麗におめかしした王昭君はかつて寝ても起きてもずっと会いたい思っていたこの国で一番の権力者に初めて会ったのです。漢元帝は彼女の美貌を見て大変驚きました。引き止めたかったのですが、約束を反故にするのは天子として信用を無くすことなので、仕方なく王昭君単于にあげました。後に元帝がこの件について調べて、絵師毛延寿が賄賂を受け取っていたことを突き止めました。怒った元帝は関係する絵師を全て処刑しました。(この二段落は中国人の価値観及び中国人好みの想像と描写を入れた書き方をしております。くどいと思われるかもしれませんが、このような扇情的な描写が常套手段です。)


この出発の日は秋空高く、気持ちいい日でした。王昭君は故国に別れを告げ、一路北へ向かいました。途中馬も雁も悲しく鳴いているように聞こえ、昭君の心は引き裂けそうでした。悲しみを紛らわすために、彼女は馬の上で琴を弾き、悲壮な別れの曲を演奏しました。南へと飛んでいた雁たちがこの美しい旋律を聞き惚れて、同時に馬に乗っている美しい女性に見惚れて、羽ばたきするのを忘れてしまい、空から落ちてくる程でした。王昭君も「落雁」という美称を得たのでした。


王昭君が遠い匈奴に嫁ぐことを「昭君出塞」と言います。彼女が有名になり、歴史に名を遺した最大の理由です。この「塞」は国境の意味で、つまり王昭君が祖国を離れて、異国に行くという意味です。(当時漢と匈奴との国境は主に万里の長城でしたので、「塞」は「光禄塞」という長城の一部分で、現在の包頭市(ボグトし)固陽を指すのではないかという説もあります。)


王昭君匈奴に嫁いだことは漢と匈奴との関係改善に寄与したと後世では思われているようですが、政治の道具となった王昭君本人にとってはやはり不幸と言えます。少女がラクダに乗って異邦人たちに囲まれて砂漠を渡る姿を想像してみてください。風が吹き荒れ、砂が飛び回る中、前に一歩進んでは振り向いて祖国の方向を見る少女と、いつまでも限りなく続く砂漠の中に響くラクダの鈴の音、なんと悲しいシーンでしょうか。王昭君が「古代四大美女」に入った理由はこの美しく悲しい物語に天下の男たちが惚れたことにあると思います。(実は当時匈奴のほうが強く、漢が弱かったので、「昭君出塞」は漢が和平を求めるための屈辱的な決定であるという説もあります。)


次回では王昭君が出塞した結果及び彼女にまつわるエピソードについて触れたいと思います。是非お聞きください。