あなたの知らない中国語!

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2022年2月18日(金) 每天五分钟 中国語リスニング 中国民间神话故事7 大禹治水 中国神話7 大禹治水

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原文

今日のリスニング


大家好!今天我要介绍的神话故事是“大禹治水”的故事。


当尧还在世的时候,中原地带经常洪水泛滥,尤其是传说中曾经发生过的“上古大洪水”最为厉害。这次洪水范围巨大,它淹没了庄稼,淹没了山陵,淹没了人类的房屋,让人们流离失所、背井离乡。当时的水患可以说是威胁人类安全的最大的祸害。在这种情况之下,尧及其后继者舜决心要消灭水患,于是就开始访求能治理洪水的人。


首先被任命的是一个叫做鲧的臣子。鲧虽然很努力地治水,但是他只知道筑坝挡水这一个方法。方法不对,自然也就不会有好结果。九年过去了,洪水仍然没有消退。最终鲧倒下了,由他的儿子禹继承鲧的遗志继续治水。所以“大禹治水”有的时候也被叫做“鲧禹治水”。


禹是一个勤勤恳恳、做事十分认真的人。他受命后便离开了自己的家乡,开始全身心地投入到治水工作当中,这一去就是十三年。在这十三年里他到处奔走,脑子里只有治水一事。有一个故事反映了禹全心全意治水的态度,叫做“三过家门而不入”。


在治水期间,禹曾经三次经过自己的家门。但是由于治水很忙,所以他一次都没有进过自己的家门去看望一下家人。第一次经过家门时,禹听到他的妻子因分娩正在呻吟,过了一会儿还传出婴儿出生后哇哇的哭声。助手劝他进去看看,他怕耽误治水,没有进去。第二次经过家门时,他的儿子正在他妻子的怀中向他招着手,不过那时正是工程紧张的时候,他只是挥手打了下招呼就走了。第三次经过家门时,儿子已长到十多岁了,跑过来使劲把禹往家里拉。大禹深情地抚摸着儿子的头,告诉他水未治好,没法回家。说完后便又匆忙离开,没进家门。大禹三过家门而不入被传为美谈,常被拿来比喻为民舍弃自己,无私奉献的官员和领导。不知道你怎么看呢?


禹不但是一个专注于治水的人,而且还十分聪明。他吸取了父亲鲧治水失败的教训,采取疏导的办法治水。他和千千万万的人一起疏通了很多河道,让洪水通过河道流到大海里去。这种治水的办法终于让洪水退了下去,人们也得以把家搬了回来,终于可以安居乐业了。


从“大禹治水”的故事我们可以看出自然环境对人类的影响有多么之大。而因为禹做出的巨大贡献,后人尊称他为“大禹”。

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今日の単語とフレーズ


遗志

生前果たすことができなかった志、遺志、という意味です。


例文:

他继承了上一任社长的遗志,让公司成功上市。


訳文:

彼は先代社長の遺志を継いで、会社を上場させることに成功しました。

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訳文

今日のリスニング


こんにちは!今日ご紹介する神話は「大禹治水」の物語です。


まだ堯という君主が在位していた時代、中原(河南省の洛陽や開封を中心とする黄河下流域のこと)はよく洪水に見舞われました。特に伝説の中の「黄河の大洪水」が最も被害が大きかったそうです。この大洪水は畑や丘から人々の家まで全てを飲み込み、百姓たちは家を失い、故郷を離れるしかありませんでした。当時、水害は間違いなく人々の安全を脅かす最大の敵だったのです。この情況を見て、堯及びその後継者である舜は水害を無くすよう決心し、治水に長けている人材を求めました。


最初に任命されたのは鯀という臣下でした。鯀は一生懸命治水しましたが、堤防を築いて水を止めるという方法しか採りませんでした。合わない方法では当然良い結果を生み出しません。結果九年も治水に費やしましたが、洪水は引く気配を見せませんでした。鯀が倒れた後

、息子の禹がその遺志を継いで治水を続けました。そのため、「大禹治水」は「鯀禹治水」と呼ばれることもあります。


禹は勤勉で真面目な人です。治水の命令を受けた後故郷を離れ、全身全霊で治水の大仕事に身を投じました。かれこれ十三年も治水に費やしました。この十三年間、彼は東奔西走し、頭には如何に洪水を治めるかしかありませんでした。ある物語が彼の素晴らしい仕事ぶりを表しています。「三回も家の前を素通りした」という話です。


十三年の治水活動の中、禹は三回自分の家の前を通ったことがあるそうです。しかし忙しかったので、一回も家に入って家族を見舞うことはなかったという。一回目では妻が分娩で呻いている声と暫く経った後にギャーギャー泣いている赤ちゃんの声が聞こえました。彼の助手は家に入ってみてはどうかと勧めましたが、治水が遅れるという理由で入りませんでした。二回目に通った時、妻が子供を抱っこしながら彼に向って手を振っていました。しかしちょうど工事が立て込んでいた時期で、禹は手を振り返しただけでした。三回目の時は息子が既に10歳になっていました。10歳の可愛い息子が走ってきて彼を家へと引っ張ろうとしましたが、禹は愛情深く息子の頭を撫でながら、治水がまだ完了していないから家に帰れないと伝えました。それを言い残して、彼はまた家を離れました。この「三回も家の前を素通りした」という物語は美談とされています。民のために自分をも捨てることができ、私心のないリーダーや役人を喩えて使いますが、リスナーの皆さんはどう思いますか?(今の常識で考えると酷い父親、酷い旦那です。)


禹は治水に全力をあげただけでなく、聡明でもありました。父鯀の失敗から教訓を学び、新しい水道を掘るなど、川の流れを良くする方法で治水を行いました。何千何万もの人々と共に、禹は沢山の水道を掘りました。この方法のおかげで、洪水はやっと収まりました。人々はまた故郷に戻ってきて、住みつくことができるようになりました。


「大禹治水」の物語から自然環境が人類に与える影響の大きさが伺えます。禹の大きな貢献を称え、彼のことを「大禹」と呼ぶようになりました。