あなたの知らない中国語!

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2022年2月14日(月) 每天五分钟 中国語リスニング 成语故事5 画龙点睛 四字熟語の物語5 画龍点晴

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原文

今日のリスニング


大家好!今天我要给大家介绍一个成语叫“画龙点睛”。这儿的“点”是画的意思,“睛”是眼睛的意思。画一条龙当然要画眼睛啦,这么理所当然的事情为什么会成为成语呢?其实这里面是有这样一个传说的。


南北朝时期,南朝当中的梁朝有位著名的画家名叫张僧繇,他的画特别传神。皇亲贵族,富商大贾都争相索求他的画。传说有一年,张僧繇奉梁武帝之命,前去金陵安乐寺的墙上画四条金龙。不愧是当代著名的画家,张僧繇仅花了三天就画出了四条活灵活现、威风凛凛的龙。这四条龙栩栩如生、惟妙惟肖,看上去与真龙没有什么差别。一时之间,围观的人都大为惊叹。


然而当人们凑近细看时,才发现这些龙全都没有眼睛。这样明显的缺陷让大家感到非常不解,纷纷请求张僧繇为龙添上眼睛。张僧繇却只是微笑,就是不给龙画眼睛。这件事惊动了梁武帝,皇帝觉得这龙没眼睛不是一回事儿,于是便下令让张僧繇画上眼睛。不得已,张僧繇只好答应先给其中两条龙画眼睛。他当着众人的面,提起笔轻轻地给墙上的龙点上了眼睛。


刚画完,不可思议的事发生了:天空忽然乌云密布,紧接着一阵电闪雷鸣,在狂风暴雨中,那两条龙竟然变为了真龙凌空飞起,最终消失在云层中。众人全都惊得目瞪口呆,等云散天晴时,大家看到雪白的墙壁上只剩下两条没有画眼睛的龙了。在那之后,再也没有人求张僧繇给龙添眼睛了。


这就是“画龙点睛”这句成语的来历。这个成语一般指说话或写文章时在关键的地方用上关键性的、精辟的一两句话,点明要旨,可以使内容更加生动有力。从这个意思引申出去,“画龙点睛”还被用来比喻做任何一件事情只要关键的那一步没有做好,可能一切都会等于零。做事要重视事物的关键点,画好重要的点睛之笔,事物才能变得圆满。如果缺少了这一笔,事物可能会失去光彩。


同样是给画好的事物添上一笔,“画龙点睛”和上一次我介绍的成语“画蛇添足”正好相反,一个是添上重要的一点,另一个却是加上多余的一笔。希望大家不要做“画蛇添足”的人,而要做“画龙点睛”的人哦。

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今日の単語とフレーズ


不得已

仕方なく、という意味です。


例文:

半泽直树正在销毁文件的时候金融厅的黑崎检察官突然冲进了房间。不得已,半泽只能把文件交给黑崎。


訳文:

半沢直樹が書類を処分している最中に金融庁の黒崎検査官がいきなり部屋に入ってきた。仕方なく、半沢は書類を彼に渡した。

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訳文

今日のリスニング


皆さんこんにちは!今日ご紹介する四字熟語は「画龍点晴」です。ここの「点」は「描く」という意味で、「晴」は「瞳」や「目」という意味です。龍を描く時は当然目も描かなければいけません。このような当たり前のことが何故四字熟語になったのでしょうか。実はこんな伝説があったのです。


南北朝時代(日本のではなく中国の南北朝時代)、南朝の梁の時代に張僧繇という著名な画家が居ました。彼が描いた絵は迫真的で、まるで本物に見えると言われています。皇族や貴族、豪商などが競って彼の絵を手に入れようとしました。ある年、張僧繇は梁の武帝の命に従い、金陵安楽寺(現在の南京辺りにあったとされています)の壁に金の龍を四尾描くことになりました。流石は当代随一の名画家で、張僧繇は僅か三日で威風堂々と、また生き生きとした龍を四尾完成させました。どれもまるで本物のようで、とても素晴らしい作品でした。噂を聞いて、その絵の近くに野次馬たちが集りました。


しかし近くで見てみると、どの龍にも目玉が描かれていないことが分かりました。こんな明らかな欠陥を残すなんて、みんなとても不可解に思いました。野次馬たちは張僧繇に龍の目を足すようにお願いしましたが、張僧繇は微笑むばかりで、目を描こうとしません。やがてこのことが梁の武帝の耳に届きました。目がないのはやはり様にならないので、武帝は目を描くように命令を出しました。仕方なく、張僧繇は四尾の内の二尾に目を描くことを承諾しました。彼はみんなが見ている中で筆を取り、軽やかな手つきで龍に目を足しました。


目を描き終わった途端、不思議なことが起きました。それまで晴れ渡っていた空に急に黒い雲が集まり、雷と稲妻が続きました。暴風雨の中で、二尾の龍はなんと本物の龍となり、飛び上がり、雲の向こうへと姿を消しました。見ている人たちは皆呆気にとられていました。雲が散り、再び晴れた時、白い壁には目の描いていない龍が二尾残っているだけでした。それから張僧繇に目を描くなんて頼む人は誰一人居なくなったそうです。


これが「画龍点晴」という四字熟語の由来です。一般的には話をする時や文章を書く時に、肝心なところに肝心な素晴らしい一言を足すことで主旨を明らかにし、文章に色を付けることの喩えで使われています。またここから派生して、どんなことも肝心な部分をしくじるとすべてダメになるという喩えとしても使えます。キーポイントを重視し、「目を描く」重要なステップをしっかりこなして初めて物事は成し遂げられます。この「目」が欠けていると、物事は輝きを失いかねません。


同じく描き終わった物に何かを足すことでも、「画龍点晴」と前回ご紹介しました「画蛇添足」とは正反対です。片方は重要な「一点」を足すという意味で、もう片方は余計な物を足してしまうという意味です。皆さんも「画蛇添足」する人ではなく、「画龍点晴」する人になるよう心がけてくださいね。