あなたの知らない中国語!

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2021年11月22日(月) 每天五分钟 中国語リスニング 扎根在中国人心里的老故事等16 四大美女・杨贵妃2 中国人の心に根付いた昔話等16四大美女・楊貴妃2

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「2021年11月22日(月) 每天五分钟 中国語リスニング 扎根在中国人心里的老故事等16 四大美女・杨贵妃2 中国人の心に根付いた昔話等16四大美女・楊貴妃2」

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原文

今日のリスニング


大家好!上一集中我讲到了杨玉环杨贵妃的一些身世。出身于政治世家的她先被嫁给唐玄宗李隆基的儿子之后又被玄宗想方设法弄到了手。为什么唐玄宗会如此喜欢贵妃呢,其理由之一当然是她的美貌了。


不过杨玉环的美貌和其他三位“四大美女”有一个不同的地方,那就是杨贵妃体态丰腴,属于一位“胖美人”。这个特点也是现在的中国人对她留下的最大的印象了,我还记得小学的时候有一位虽然体重较重,但是一旦瘦下来估计肯定很漂亮的同学。大家在夸奖她的时候有的时候会说“你要是到了唐朝肯定特别受欢迎”,这就是因为杨贵妃的影响让大家觉得唐朝的审美观念是“以胖为美”。


不过杨贵妃在宫中的生活也不是那么一帆风顺的,她曾经两次被唐玄宗撵出宫,让她回娘家。第一次是在入宫后第二年的七月,≪资治通鉴≫里对此事的描述中有这么四个字叫“妒悍不逊”,也就是说杨贵妃嫉妒凶悍不听话。有人猜测当时杨贵妃嫉妒的是玄宗的另一名妃子——梅妃。梅妃是玄宗在失去之前最宠爱的武惠妃(杨贵妃前夫李瑁的母亲)之后,得到杨贵妃之前找到的一位很喜欢的妃子。梅妃看到玄宗成天和杨贵妃在一起,不再喜欢自己,于是便写了一首诗给玄宗玄宗看后或许是想起了和梅妃度过的日夜,于是便把她找来叙旧。杨贵妃正是得知了此事之后醋意大发的。


另一种说法则是说唐玄宗十分风流好色,他设置了一个职位叫作“花鸟使”,专门负责到民间搜罗美女来充实后宫。唐玄宗整日和杨贵妃在一起或许是玩腻了,便背着杨贵妃找其他女人来玩,所以杨贵妃才吃的醋。不过不管是哪个说法,贵妃走后唐玄宗很快就后悔了,当天晚上就派禁军将贵妃从杨家接了回来。经过这一番折腾后两人的感情再次升温,玄宗还将杨贵妃的三个姐姐接到长安,封她们为一品夫人,准许她们随意出入宫门。


不过这个举动反而造成了杨贵妃第二次被赶回家。这第二次被赶出宫的原因有各种说法,比较有名的一个说法说是因为杨家四姐妹受宠后势力一下子发达了起来,在京城有些无法无天。比如出入皇宫的时候场面摆的过于盛大,再比如在宫中皇上的亲妹妹都要给杨家的三个姐姐让座等等,所以唐玄宗通过处罚杨贵妃给了杨家一个下马威。


第二次被撵出宫的杨贵妃之后的命运如何,我们下集再讲。

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今日の単語とフレーズ


吃醋

嫉妬するという意味です。話し言葉です。直訳すると「お酢を飲む」になりますが、お酢を飲むと酸っぱくて胸焼けがしそうな感覚が嫉妬する時の気持ちに似ていることから来ていると言われています。


例文:

“单位里的小红又联系你了?”“老婆不要吃醋嘛,聊的都是工作上的事啦。”


訳文:

「会社のあの紅ちゃんからまた連絡が来たの?」「ハニー、嫉妬しないでよ。仕事の話さ。」

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訳文

今日のリスニング


こんにちは!前回では楊貴妃こと楊玉環の出身などについてご紹介しました。政治家や官僚一家に生まれた楊玉環は先ず唐の玄宗(皇帝)李隆基の息子に嫁ぎましたが、結局玄宗にあの手この手で手に入れられました。では唐玄宗は何故ここまで楊貴妃を寵愛したかというと、理由の一つはもちろんその美貌にあります。


ただ楊玉環の美貌は他の三名の「四大美女」と少し違います。彼女は豊満体型の「むっちり」美人です。今の中国人にとって楊貴妃と言えば先ずこの特徴を思い出すぐらい彼女のトレードマークです。小学校の時に体重は少しあるが痩せたらきっと美人だろうなという同級生がいました。彼女を褒めるとき、「唐の時代だったらきっと大人気だね」と皆が口をそろって褒めていました。これは楊貴妃の影響で唐の時代は「豊満な女性を美とする」という印象があるからです。

しかし楊貴妃の宮中生活も順風満帆ではありません。二回も唐玄宗に宮廷から追い出されて、実家に返されたことがあります。一回目は宮廷入り二年目の七月でした。この時のことを書いた≪資治通鑑≫に下記の四文字が記されていました。「妒悍不逊」、つまり楊貴妃は嫉妬深く狂暴で従順ではなかったという意味です(日本人の女性と違い、向こうの女性は今でも性格的に「お強い」一面が残っていると言われています。)。楊貴妃が嫉妬した理由は玄宗のもう一人の妃である梅妃だと指摘する人がいます。梅妃は最愛だった武恵妃(楊貴妃の前の夫李瑁のお母さん)を失った後、楊貴妃を見つけるまでに玄宗が出会ったお気に入りの妃です。楊貴妃が王宮入りした後毎日彼女と戯れている玄宗を見て、もう自分のことを好きじゃないんだと思った梅妃は詩を書いて玄宗に渡しました。それを読んで梅妃と過ごした日々を思い出した玄宗は彼女を呼んで昔話を楽しんだそうです。楊貴妃はこのことを知って嫉妬したのです。


もう一つの説は唐の玄宗はそもそも大の女好きで、わざわざ「花鳥使」という役職を作って、国中から美人を探して連れてくることを担当させていました。毎日楊貴妃と遊んでいたら飽きてしまい、楊貴妃に隠れて他の女性と遊んでいたから嫉妬されたという説です。どの説にせよ、楊貴妃を追い出した玄宗はすぐ後悔し、その日の夜に近衛兵を差し向けて彼女を連れ戻しました。この件の後、二人の仲は更に緊密になりました。玄宗は更に楊貴妃の三人のお姉さんをも首都長安に迎え入れて、一品夫人(最高官僚並み)の称号を与えて、宮殿を自由に出入りすることまで許しました。


しかしこの寛容な行動は楊貴妃の二度目の追い出しの禍根を作ったと言えます。二回目の理由は諸説ありますが、有名な説として楊家四姉妹が寵愛を受けて勢力を増大させ、都で好き放題にやりすぎたからと言われています。例えば王宮を出入りする際盛大に送り迎えをさせたり、宮中では皇帝の実の妹まで三姉妹に席を譲らなければならなくなったりしたことなどです。そのため唐玄宗楊貴妃を罰することで楊家を勢いを叩こうとしたそうです。


二回目に王宮から追い出された楊貴妃のその後の運命については次回お話しします。