あなたの知らない中国語!

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2021年11月1日(月) 每天五分钟 中国語リスニング 扎根在中国人心里的老故事等14 四大美女・西施2 中国人の心に根付いた昔話等14 四大美女・西施2

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「2021年11月1日(月) 每天五分钟 中国語リスニング 扎根在中国人心里的老故事等14 四大美女・西施2 中国人の心に根付いた昔話等14 四大美女・西施2」

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原文

今日のリスニング


    大家好!上一集我讲到了“古代四大美女”之首西施的出生和“沉鱼”的故事,但是光凭美貌恐怕是无法被列为“四大美女”之首的,也不可能被后世如此纪念,以至于连西施浣纱的石头都被做成一个景点。那么西施到底经历了怎么样的波澜起伏的命运呢?在往下讲之前先要声明一下的是这些故事均有多种说法,我挑选的是其中相对较为有名的说法来介绍给大家。


    改变了西施的命运的人是越国的大夫范蠡。在聊到“卧薪尝胆”和“美人计”的时候我讲过当时越王勾践在吴国受尽耻辱之后返回自己的国家试图雪耻,但是光凭军事力量恐怕打不过吴国,需要更多的好办法才行,作为大夫的范蠡也每一天都在想这件事。有一天范蠡路过苎萝山,偶尔看到了浣纱的西施,被其美貌所惊艳,据说两人一见钟情,范蠡当场就决定把西施带回王宫。但是在范蠡和越国的谋士文种商量之后,为了救国不得不挥泪决定将西施献给吴国国王夫差。真是一对悲情的情侣啊!


    不过这个“美人计”也没有进行的那么顺利。越王宠爱的一个宫女认为真正的美人必须具备三个条件,一是美貌,二是能歌善舞,三是体态要好。西施只具备了第一个条件,还缺乏其他两个条件。于是越王等人让西施接受了歌舞、步法、礼仪等训练。西施虽然坚持苦练,但是这一切都是为了将自己送给敌国,去迷惑敌国的国王的,不知道西施本人的心里到底是什么样的感受。这些训练足足花了三年时间,西施终于成为了一个“完美”的美女。


    一切准备完毕后勾践便派范蠡将西施献给吴王夫差。夫差果然中计,西施很快成为了吴王最宠爱的妃子。西施入吴后,夫差被她迷得神魂颠倒,春秋宿姑苏台,冬夏宿馆娃宫,整天与西施玩花赏月,有时亲自为美人梳理秀发。有时又与西施泛舟采莲,或乘画船出游,或骑马打猎,总而言之就是完全沉醉于美色,把国家大事丢在了脑后。美女的魅力真是可怕啊!连最亲信的大臣伍子胥求见都常被拒之门外,一个国家的君主到了这样一个地步,国家当然也就离垮台不远了。


    有一个说法是西施在越国时还接受了情报战的教育。西施天天与夫差形影不离,所以对于吴国的政治斗争、军事机密也就无所不知。据说她会伺机向越国传递她所得到的情报,号称历史上最早的色情间谍。特别是吴国的大忠臣伍子胥最终被吴王夫差赐剑被命令自杀一事恐怕也少不了她一份功劳。因此可以说西施是勾践灭吴雪耻的最大功臣之一。


    而在历史舞台上留下了如此之深的印记的美女西施是怎么死的也是流言纷纷,概括起来主要有六种,今天我先来介绍前两种。第一种是“愧疚自缢说”,说西施帮助越国灭掉吴国之后一方面因为完成了自己的使命而感到欣慰,另一方面觉得对不起吴王夫差感到内疚。在一种异常矛盾的心理中不能解脱,最后自缢于吴国的馆娃宫内。一些戏曲作品采用过这个剧本。


    而戏剧作品中更多的是第二种说法,即被范蠡带走了。苏东坡的诗句和东汉人所写的《越绝书》里面有类似的记载,说吴国灭亡的当天,范蠡做了两件事,一件是劝他的好朋友文种趁早离开越国。再一件事就是在姑苏台下花荫深处找到了萎顿不堪的旧日情人西施,带着西施仓皇逃到太湖,两人驾一叶扁舟,消失在了烟波浩渺之中。在山东肥城陶山据说有范蠡和西施的坟墓,不知道那之后两个人是不是幸福地走到了最后呢?


    有关剩余的四种说法我在下一集再讲,敬请期待!

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今日の単語とフレーズ


一见钟情

第一次见面就喜欢上了对方。

一目惚れ。


例文:

“妈妈和你爸爸当时是一见钟情,认识一个月之后就结婚了。”“这样子,那为什么现在关系这么不好呢?”


訳文:

「お母さんはね、お父さんと一目惚れして、知り合って一か月で結婚したのよ。」「そうなんだ。じゃなんで今こんなに仲が悪いの?」

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以上です。良い一日を!

祝大家每天过的快乐!再见!

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訳文

今日のリスニング


こんにちは!前回では「古代四大美女」筆頭の西施の生い立ち及び彼女の美貌を物語る伝説「沈魚」についてご紹介しました。ただ美貌だけで四大美女筆頭になるのは無理でしょうし、シルクを洗った石まで名勝にされるほど後世で記念されることもないでしょう。では西施は一体どのような波乱万丈な人生を送ったでしょうか。先に進む前に先ず言っておかなければならないのはこれらの物語には皆諸説あります。その中で比較的有名な説を選んでご紹介しています。


西施の運命を変えたのは越の国の大夫(官職)范蠡でした。「臥薪嘗胆」や「美人計」などの回で越の国王勾践が呉の国で屈辱の限りを味わって自国に帰り、雪辱を誓う物語に触れました。しかし軍事力だけでは呉の国に勝てる見込みが薄く、同時に他の良い方法も必要でした。大夫の范蠡もこのことで頭がいっぱいでした。ある日范蠡は苎蘿山を通った時、ちょうどシルクを洗っている西施を見かけました。その美貌に驚き、二人は一目ぼれしたと言われています。范蠡はその場で西施を王宮に連れて行くことを決めました。ところで後で范蠡が越国の策士である文種と相談した結果、国を救うために涙を流して西施を呉国国王夫差に差し出すことを決めました。悲しいカップルですね。


しかしこの「美人計」は順調に進んだとは言えません。勾践が寵愛しているある宮女が真の美人になくてはならない三つの条件を言い出しました。一つは美貌、一つは歌と踊りに長けていること、もう一つは姿勢がいいことです。西施には美貌がありますが、他の二つの条件はまだ整っていません。そのため勾践などが西施に舞踊、ステップ(歩き方や姿勢)、礼儀などの訓練を受けてもらいました。西施は一生懸命練習に励みましたが、全てが自分を敵国に献上し、敵国国王を誘惑するためのものだと考えると、本人の心境がどうだったか気になります。これらの訓練が3年も掛り、西施はやっと「完璧」な美女になったのです。


全ての準備が整った後、勾践は范蠡に西施献上の任務を授けます。呉の国王夫差はやはり罠にハマり、西施はすぐさま夫差の一番寵愛する妃になったのです。それから夫差は西施にメロメロで、姑蘇台(物凄く立派な楼閣)を建て、春と秋は一緒にそこに泊まり、館娃宮(物凄く豪華な宮殿)を造り、夏と冬はそこに滞在していました。夫差の毎日と言えばずっと西施と二人で花を愛でたり、お月見をしたり、西施の綺麗な髪の毛を梳いたりもしました。また二人で小舟に乗ってハスを取りに行ったり、豪華な船に乗って各地を遊歴したり、馬に乗って狩りに出掛けたりしました。とにかく完全に美人に溺れて、国家の重要事をさっぱり忘れてしまったのです。美女の魅力、恐るべし!やがて一番の腹心である大臣伍子胥が会いたいと言っても断るようになりました。一国の君主がここまで来たら、国家も崩壊に近いですね。


ある説では西施が越国で諜報戦の教育も受けたと言います。毎日夫差とくっ付いて離れない西施ですから、呉国内部の政治闘争や軍事の秘密も全部知っている立場です。西施はチャンスを伺ってその情報を越国に伝えていたそうで、歴史上最初の美人スパイとこの説は主張しています。特に呉国の忠臣である伍子胥が最終的に主君夫差から剣を授けられて自殺を命じられたのも、恐らく西施が裏で動いたでしょう(個人的な推測ですが、例えば西施が伍子胥にセクハラや乱暴をされたと嘘をつくという古代よくある手口を使ったとか)。やはり西施は呉を滅ぼし、勾践の屈辱を晴らした最大の功労者の一人と言えましょう。


歴史の舞台でここまで深い足跡を残した西施がどのように世を去ったのかについても様々な説が出回っています。まとめると六種類の説がありますが、先ず最初の二種類をご紹介します。一つ目の説は「自責による自殺説」です。越のために呉を滅ぼす手助けをした後、使命をまっとうしたことで感じたホッとする安らぎと同時に、呉国の王様夫差に対して自責の念を感じました。異常に矛盾した心理から抜け出せず、呉国の館娃宮で首を吊ったという説です。一部の演劇ではこの説を取り入れたシナリオを使っています。


演劇で言うともっと多く見られるのは二つ目の説、「范蠡に連れていかれた説」です。蘇軾の詩や後漢人が書いた「越絶書」にはこの説を支える記載がありました。呉が滅んだその日に范蠡は二つの事をしました。一つは親友である文種に早く越から離れるよう説得を試みました。もう一つは姑蘇台の下の草花の茂みの中に身も心も憔悴しきった元恋人の西施を見つけ、二人で太湖まで逃げました。二人は一隻の小舟を漕いで湖上のしぐれのような霧の深みに消えていきました。山東省肥城陶山には范蠡と西施のお墓がありますが、二人がその後最後まで幸せに暮らしていたか気になります。


残りの四種類の説については次回でご紹介します。乞うご期待!