2021年10月8日(金) 每天五分钟 中国語リスニング 扎根在中国人心里的童话・寓言・神话・老故事11・上 中国人の心に根付いた童話・寓話・神話・昔話11・上
あなたの知らない中国語!
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原文
今日のリスニング
大家好!9月24号上上周五和10月1号上周五我和大家聊了“龙游浅水遭虾戏,虎落平阳被犬欺”这句话,分别讲到了人在落魄之后会受到小人的欺负以及地头蛇的厉害之处。首先要和大家表示道歉的是我把这句话里的一个字给弄错了,之前我说的是“虎落平原”,但是正确的应该是“虎落平阳”。平阳指的是地势平坦明亮的地方,我把这个词给说错了,非常抱歉。而今天我想聊的是这句话的由来。其实这句话的由来很有意思,它来自古代文化中的一个非常有文学性,也非常有意思的“智斗”,叫做“对诗”。
所谓对诗,就是指一方念出一句诗之后,另一方紧接着也念出一句诗来对应前者的诗句。我举一个不太恰当,但是比较容易理解的例子。比如大家在国语当中学过一首李白写的唐诗≪静夜思≫,当中有这么两句话叫:举头望明月,低头思故乡。这首诗是李白一个人写的,不是两个人的对诗。但是为了给大家解释说明对诗的意思,我们假设这是两句诗,分别出自两个人之口。也就是甲说:“举头望明月”。乙说:“低头思故乡”。这就是一次成功的对诗。
对诗有几个不成文的规矩。一是诗句结构本身要对应,上句是名词的地方下句也得是名词,上句是动词的地方下句也得是动词。比如≪静夜思≫里下句的动词“低”对应上句的动词“举”,下句的动词“思”对应上句的动词“望”。而且这个对应是正好相反的词或者同一类的词为最好。比如“举”和“低”一个是抬头一个是低头,正好相反,对应的很完美。而“明月”往往象征着家人团圆,所以和“故乡”也是很对应的。唯一的瑕疵是一般上下句不出现同样的字为好,而这儿上下句里都有“头”这个字。当然这两句诗本身不是对诗,无可厚非。而且这个规则也不是一个强制性的规则,对诗最基本的要求还是在意思的对应上。
说了这么多,我想说的其实是“龙游浅水遭虾戏,虎落平阳被犬欺”这句话也是一个对句。不仅如此,这句话还是出自一次历史上经典的对诗。这个故事比较长,我们分上中下三集来给大家介绍。请大家不要忘记收听下一集哦!
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今日の単語とフレーズ
嘲讽
嘲笑讥讽。
嘲笑い、皮肉る、当てこするという意味です。
例文:
“他竟敢骂我,我要和他拼了!”“冷静,他这是在故意嘲讽你,好让你上当。”
訳文:
「よくも俺の悪口を言ってくれたな!そいつとタイマン張ってくる!」「落ち着け。あれはわざと皮肉ってお前を罠にはめるつもりなんだよ。」
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訳文
今日のリスニング
こんにちは!9月24日先々週の金曜日及び10月1日先週の金曜日に「龍泳浅水遭虾戯、虎落平陽被犬欺(浅瀬にいる龍は海老に遊ばれ、平原にいる虎は犬にいじめられる)」に関連する内容をご紹介しました。落ちぶれたら周りの小人たちに虐められること、そして「地頭蛇」、つまりその地域で強い権力を持つ者はとても恐ろしいということをお話ししました。この文については今日先ず皆さんにお詫びしなければなりません。私はずっと「虎落平原」と言っていましたが、「虎落平陽」の方が正しいです。「平陽」は地形が平で明るい場所という意味です。間違えてお伝えして大変申し訳ありませんでした。では今日の話に入ります。今日はこの文の由来についてお話ししたいと思います。この文の由来はとても面白く、昔有名な「知恵比べ」の一つである「対詩」から来ています。
「対詩」が何かと言うと、一方が詩を詠んだら、もう一方もそれに続いて相手の詩に「対応する・相対する詩を詠む遊びです。分かりやすくするために適切ではない例を一つ挙げます。例えば国語で李白の『静夜思』という唐詩を習ったことがあると思います。中にこの二文がありました。「頭(こうべ)を挙げて山月(さんげつ)を望み、頭(こうべ)を垂れて故郷を思う(山月を明月とするバージョンもあります)。」この詩は李白一人で書いたもので「対詩」ではありませんが、「対詩」の意味を説明するために、この二文を「対詩」、二人の口から詠まれた詩だと仮定します。つまり甲が「頭を挙げて山月を望み」と詠み、それに対して乙は「頭を垂れて故郷を思う」と詠んだとしましょう。
「対詩」には幾つかの不文律があります。一つは文の構造が対応していなければなりません。上の句が名詞である箇所は下の句も名詞で、上の句が動詞である箇所は下の句も動詞です。例えば『静夜思』下の句の動詞「垂れて」は上の句の動詞「挙げて」に対応しており、下の句の動詞「思う」は上の句の動詞「望む」に対応しています。しかもこの対応する言葉同士は反対語もしくは同種類の意味の言葉の方がより良いです。例えば「(頭を)挙げる」と「(頭を)垂れる」はちょうど逆で、完璧に対応していると言えます。「明月」も家族団らんを象徴しているため「故郷」に意味的に対応しています。上下の句に同じ文字が入らない方がいいという不文律があるため、『静夜思』の上下の句に同じ「頭」という文字が入っているのが唯一の瑕疵です。ただこの詩はそもそも「対詩」ではないので、このルールは適応できません。またこの不文律は強制的なルールではなく、最低基準として意味さえ対応していれば「対詩」と呼べます。
沢山話しましたが、言いたいのは「龍泳浅水遭虾戯、虎落平陽被犬欺」も対応していること、そして歴史上の有名な対詩に由来していることです。ちょっと長い物語なので、上中下3回に分けてご紹介します。では続きは次回でお話しします。