あなたの知らない中国語!

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2021年9月8日(水) 每天五分钟 中国語リスニング 三十六计混战计第四计“关门捉贼” 三十六計混戦計第四計「関門捉賊」

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「2021年9月8日(水) 每天五分钟 中国語リスニング 三十六计混战计第四计“关门捉贼” 三十六計混戦計第四計「関門捉賊」」

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原文

今日のリスニング


大家好!今天要介绍的这个三十六计是一个比较没有诗意的计策,叫“关门捉贼”。关上门捉贼,就这么通俗。至于为什么要关门,那当然是为了不让贼人逃跑啦。这也是现代汉语中的“关门捉贼”的意思,很单纯。但是古代战争中的“关门捉贼”就没这么简单了。


我们来看一下古人对“关门捉贼”解释(按语):捉贼而必关门,非恐其逸也,恐其逸而为他人所得也;且逸者不可复追,恐其诱也。贼者,奇兵也,游兵也,所以劳我者也。(中略)追贼者,贼有脱逃之机,势必死斗;若断其去路,则成擒矣。故小敌必困之,不能,则放之可也。


从这一点也能再次看到,古人非常喜欢有优势的战斗。目标是把对方完全包围,轻松歼灭。和“关门捉贼”类似的说法还有比如“关门打狗”、“瓮中捉鳖”、“网中之鱼”、“围歼战”、“口袋阵”等等。混战计原本应该讲的是敌方比自己强的情况下的战术,这一计已经开始跑题了,也罢。


当然古代一些杰出的军事家不限于围困小贼,有的时候甚至撒下大网来围歼敌方的主力部队。经典的例子就是最近比较火的≪王者天下≫里也有讲到的“长平之战。战国时期,秦国攻打赵国。秦军大将白起率领的部队在长平受阻,因为赵国守军的将领正是赵国名将廉颇。廉颇知道秦军实力强大,不能硬拼,于是就下令让部队专心防守,绝不主动出击。两军相持了四个多月,秦军依旧无法拿下长平。


最终秦军决定用计来拿下长平。首先秦国传布谣言,让赵国国王怀疑廉颇。这一计奏效,赵国国王把廉颇调走,改为派一个叫赵括的将军来前线指挥。赵括一改廉颇的做法,选择主动出击与秦军作战。秦将白起故意让赵括的部队取得了几次小胜,尝到了甜头的赵括得意忘形,派人到秦军阵营下战书,定好地点说要进行一次大决战。


这一切正中白起的下怀,决战当天白起面对赵国四十万大军依旧假装败退,同时悄悄地派兵从两侧包夹赵军。赵括忙着追击败退的秦军,等到发现追不上准备返回的时候突然发现自己的部队已经从中间被分割了开来,完全被秦军给包围了。虽然赵军拼死搏斗,在被包围的情况下坚持了四十六天,但是最终弹尽粮绝,四十万大军就这样全军覆没。这场战役堪称“关门捉贼”的经典战役。

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今日の単語とフレーズ


尝到甜头

甘い汁を少し啜った、うま味を少し味わった、という意味です。話し言葉寄りです。


例文:

“你得让人家尝到点甜头,否则人家怎么肯帮你呢?”


訳文:

「少しうま味を味わわせないと協力してくれないてしょう?」

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以上です。良い一日を!

祝大家每天过的快乐!再见!

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訳文

今日のリスニング


こんにちは!今日ご紹介する三十六計はあまり詩的ではない四字熟語で、「関門捉賊」と言います。ドアを閉めてから賊を捉える、とても分かりやすいでしょう?何故ドアを閉めるかというと、もちろん賊が逃げられないためです。現代中国語での「関門捉賊」の意味はまさにこの通りで、とても単純です。しかし古代の戦争における「関門捉賊」はそんなに簡単ではありません。


「関門捉賊」に対する古人の解釈を見てみましょう。「賊を捉える時必ずドアを閉めなければなりません。逃げるが怖いのではなく、逃げて敵に利用されるのが怖いです。そしてもし万が一逃げられても深追いしてはいけません。罠へと誘われる恐れがあります。賊というのは動きが読めなかったり、ゲリラ戦を仕掛けてきたりする軍隊で、我が軍を疲弊させてしまう存在です。(中略)賊を叩く時、もし逃げる隙を与えたら賊は必ず死に物狂いで抵抗してきます。逆に退路を全て断てば、容易に捕まえることができます。故に数が少ない敵である場合必ず包囲して捉えるようにします。もしそれができなければ、最悪逃しても仕方がありません。」


この解釈からも分かるように、昔の人は有利な戦いを殊に好みます。完全包囲や簡単に殲滅できるようにしたがります。この「関門捉賊」に似た言葉も幾つかあります。例えば「ドアを閉めて犬を叩く」、「甕の中の亀(ほど捕まえやすい)」、「網の中の魚(ぐらい捉えやすい)」、「囲み戦術」、「袋叩きの陣」などがあります。混戦計の趣旨、つまり自分より強い敵と戦う時の戦略だという趣旨から大分離れていますが、そこは気にせず。


古代の傑出した軍事家たちは小さな賊を包囲することに止まらず、巨大な網を広げて敵の主力部隊を囲み、殲滅しようとしました。典型例は最近人気の『キングダム』の中にも触れました「長平の戦い」です。戦国時代、秦の国が趙の国に攻め入りましたが、秦軍大将軍白起率いる部隊が趙国名将廉頗によって長平で足止めを食らいました。秦軍の実力を知っている廉頗は正面衝突を避け、守備に専念しました。両軍が睨み合いを続け、四ヶ月経っても長平は落ちませんでした。


そこで秦軍は策略を使いました。先ずデマを流し、趙の国王に廉頗を信用しないよう仕向けました。罠にかかった趙の国王は廉頗を戻し、代わりに趙括という武将を前線の指揮官に充てました。趙括は廉頗をやり方を完全に変え、積極的に出撃して秦軍とぶつかる作戦に出ました。これを見て秦の白起は先ずわざと数戦勝たせました。旨味を味わってしまった趙括は傲慢になり、秦軍に果たし状を宛て、場所を決めて決戦すると宣言しました。


これらの行動は全て白起の思う壺でした。決戦当日、趙軍40万に対して白起はやはり敗退を装い、軍を下がらせ続けました。同時に両側から趙軍を包囲するようこっそりと部隊を回らせました。趙括は「負けて逃げていた」秦軍を追いましたが、追いつけないため引き戻そうとしたら、自分の部隊が真ん中から分断され、秦軍によって完全に包囲されていることにやっと気付きました。死に物狂いに抵抗しましたが、46日に渡るの死闘の末、弾薬も兵糧も尽きた40万の趙軍が全員殺されました。この戦いが「関門捉賊」の教科書的戦いと言えましょう。