あなたの知らない中国語!

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2021年8月24日(火) 每天五分钟 中国語リスニング 我的童年(少年宫篇) 私の少年時代(「少年宮」編)

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どうぞこの記事のコメント欄にて中国語や中国文化についてのご質問をどしどしご投稿くださいませ!

欢迎您提出各种问题!

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原文

今日のリスニング


大家好!今天要介绍一个当年给中国孩子们带来了无数欢乐的设施,那就是“少年宫”。这个名字是从当时的苏联过来的,少年宫这个点子本身也是从苏联借鉴来的。1953年6月1日,孙中山的夫人宋庆龄通过在苏联学到的知识在上海建立了中国第一个少年宫,据说初期是以培养“神童”为目的之一,开展了各色各样的培训班,教主要是小学和初中左右的孩子学习书法、画画、音乐等课外知识。


到了90年代的时候少年宫走到了它的巅峰,当时中国各个城镇里都有一个少年宫。在那个年代,少年宫毫无疑问是小孩子最爱去的地方之一。证人就是我。比如当年我的老家岱山县的少年宫就位于小岛上最繁华的街道的正中央,由一个大楼和一块空地组成,入场是免费的。进入大门后首先映入眼帘的是一大块空地,主要放置着各种各样的游乐玩具,比如秋千、滑滑梯、跷跷板、沙坑等,有点像日本的公园。


不过很可惜的是少年宫的空地里基本不会有像旋转木马那样的超大型的需要随时有人管理的玩具,从这一点上来讲少年宫在孩子们的心里的地位大约是在公园以上,游乐场以下。当时岱山县少年宫唯一一个电动玩具就是碰碰车,当然也是所有孩子最喜欢的玩具了。碰碰车是有人管理的,也是需要花钱的。而少年宫的大楼里也设置了很多玩具和体育用具,比如赛马、台球台、乒乓球台、象棋室等。当时为兴趣课准备的教室很少,让孩子玩耍的设施和房间占大多数。


这一点和现在的少年宫,或者叫“青少年活动中心”大不一样。进入二十一世纪,在少年宫衰退之后虽然政府建设了很多活动中心,但是里面的内容大多都是以开辅导班为主的。以前的少年宫可以说是孩子们的游乐园,而现在的“青少年活动中心”则几乎成了补课和上兴趣班的教学楼。虽然外观变得更加雄伟了,但是对孩子们来说是不是变得更好了还真不好说。


现在中国有很多少年宫或者青少年活动中心都建的非常现代化,对国外的游客来说甚至有点观光的价值。大家如果有机会的话,像上海市的少年宫等大城市的规模较大的少年宫推荐大家去看一眼哦!

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今日の単語とフレーズ


首先映入眼帘的是

先ず目に入ったのは、先ず目に映ったのは、という意味です。同じ意味で「首先看到的是」という言い方もありますが、こちらは話言葉でも書き言葉でも使えます。今日紹介しました「首先映入眼帘的是」は書き言葉です。


例文:

“推开沉重的木门,首先映入眼帘的是殿堂正中央供奉着的三尊巨大的佛像。”


訳文:

「重たい木の門を押し開いて、先ず目に映ったのは部屋の真ん中に祀られている三体の巨大な仏像でした。」

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訳文

今日のリスニング


こんにちは!今日は当時中国の子供たちに数えきれないほどの楽しい時間をくれた施設についてご紹介したいと思います。その名は「少年宮」です。名前もアイディア自体も当時のソ連から来たものです。1953年6月1日、孫文の夫人である宋慶齢ソ連から学んだノウハウに基づいて中国最初の「少年宮」を作りました。当初は「神童」を育てるのも目的の一つで、そのため様々なトレーニングレッスンを展開したそうです。主に小学生や中学生ぐらいの歳の子供たちに書道や美術、音楽など学校では教えない知識を教えていたそうです。


90年代になると少年宮はピークに達し、どの町にも少年宮があったと言われています。あの年代の子供たちにとって少年宮は間違いなく一番行きたい場所の一つでした。私が証人です。例えば当時地元岱山の少年宮は島で一番の繁華街のど真ん中にありました。ビル一棟と空き地で構成されていて、入場は無料でした。入って先ず目に映るのは大きな空き地で、各種遊具が設置されています。例えばブランコ、滑り台、シーソー、砂場などがあり、日本の公園に似ています。


ただ一つ残念なのはメリーゴーラウンドのような超大型で、随時管理人が必要な遊具はありませんでした。この点から言うと、少年宮が子供たちの心の中に占める地位は公園以上、遊園地以下といったところでしょうか。当時の岱山県少年宮にある唯一の電動遊具はバンパーカーで、当然のようにみんなの一番の好物でした。管理人も要るので、遊ぶには料金が必要です。少年宮のビルの中にも沢山の遊具やスポーツ用具が設置されていました。子供競馬用遊具、ビリヤード台、卓球台、将棋部屋などがありました。当時は趣味クラスのための教室が少なく、子供が遊ぶための施設や部屋の方が圧倒的に多かったのです。


この点では今の少年宮、或いは「青少年活動センター」と呼ぶものとは大違いです。二十一世紀に入って少年宮が衰退し始めてから、政府は様々な活動センターを作ってきましたが、中身は有料の趣味クラスばかりでした。以前の少年宮は子供の楽園でしたが、今の「青少年活動センター」はほとんど補習と趣味クラスの巣窟になり下がっています。ビルの外観は益々立派になってきましたが、子供たちにとって良くなったかどうか分かりませんね。


今の中国の少年宮や青少年活動センターの建物自体はとてもモダンで立派なので、海外の方たちにとっては観光する価値すらあるかもしれません。もし機会があれば、上海などの大都会の大きい少年宮を是非覗いてみてください。