あなたの知らない中国語!

「あなたの知らない中国語!」の公式ブログです。毎週Podcast、Google Podcast、Spotify、Anchorとこのブログで配信しております。ご質問・ご意見はそれぞれのエピソードのコメント欄へお願い致します。

2021年7月27日(火) 每天五分钟 中国語リスニング 我的童年(游戏厅和街机編) 私の少年時代(ゲーセンとアーケードゲーム篇)

あなたの知らない中国語!

 

「2021年7月27日(火) 每天五分钟 中国語リスニング 我的童年(游戏厅和街机編) 私の少年時代(ゲーセンとアーケードゲーム篇)」

の配信がスタートしました!

原稿は一番下に掲載しております。

 

ご視聴は下記のリンクをクリックしてください!

または各Podcastのアプリで「あなたの知らない中国語」と検索してください。

 

Apple Podcast:https://podcasts.apple.com/jp/podcast/%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AE%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E8%AA%9E/id1528116819


Google Podcasts

https://podcasts.google.com/feed/aHR0cHM6Ly9hbmNob3IuZm0vcy8yZmNjYzQxYy9wb2RjYXN0L3Jzcw==

 

Spotify: https://open.spotify.com/show/4qjiCy9BRd9KcC7j9TITM8

 

またこの番組ではご質問を募集しております。頂いたご質問はブログやTwitterで返信したり、一話を設けてご紹介したりすることがあります。

どうぞこの記事のコメント欄にて中国語や中国文化についてのご質問をどしどしご投稿くださいませ!

欢迎您提出各种问题!

……………………………………………………………………

原文

今日のリスニング


大家好!继续来介绍对我的童年产生过巨大影响的日本元素,今天要讲的主角是游戏厅和街机。日本从50年代末至60年代初出现最早的赛车游戏和抓娃娃机至今,游戏角和游戏厅一直都是深受国民热爱的娱乐方式之一。这股热潮同样涌到了邻国中国,在尤其是90年代游戏厅风靡了全中国。


在我的记忆中,我住的小镇开始出现游戏厅是在上小学之前,也就是90年代初期。我的老家的面积大约和横须贺市差不多,在这样一个中国的偏僻的小岛上竟然同时存在着7、8个游戏厅。顺便说一下现在横须贺市正好有大约7-8个游戏厅,当时游戏厅在中国的热度可见很不一般。


中国乡下早期的游戏厅和日本完全不一样,最大的区别在于几乎只有两种类型的电子游戏。一种是多人横板过关型游戏,另一种是格斗游戏。不存在赛车游戏、音乐游戏、单人过关游戏、小孩子玩的娱乐类游戏等。比如打地鼠、拳击游戏、投篮游戏、头文字D、吃豆人等都没有,这些游戏你得去大型购物中心才能偶尔在游戏角里看到。上海北京广州等超级大城市的超大型游戏厅又是另外一回事儿,比如小城市里没有的抓娃娃机在大城市里就不少见。


虽然游戏厅里只有这么些电子游戏,但是中国的小朋友们依然十分痴迷。当时最火的四个游戏是“吞食天地”、“街霸2”、“97拳皇”和“98拳皇”。因为玩的人太多,大家都得排队等着,导致人满为患,所以这四个游戏每个游戏厅都得准备两个以上的机子来满足小孩子的需要。顺便说一下可能是因为街机的成本太高,比较喜欢赚钱的中国老板很少更换机子,也很少进最新的游戏。所以游戏厅里从90年代开始到现在还是可以看到“98拳皇”这样的怀旧游戏在唱主角。可能因为如此,在2007年在日本举行的世界最高水平的街机游戏大赛“斗剧07”上,中国的选手会师“98拳皇”的决赛,包揽了前两名。


街机太有魅力了,以至于当时的小学生们甚至逃课去游戏厅玩游戏。所以班主任和家长经常来游戏厅巡视,看看自己班级的学生或者自己的孩子有没有在玩。游戏厅也很聪明,都会安排一个后门,店长还会放哨。一旦看上去像老师或家长的人接近游戏厅,店长就会通知店里的孩子们,孩子们立刻放下手中的游戏从后门逃走,配合十分流畅。当时我比较笨,被老师和家长抓住过好几次。我还记得曾经被老妈扭着耳朵从游戏厅拖走的情景……


等进入到二十一世纪之后,因为电脑游戏的普及,游戏厅和街机开始慢慢衰退。几乎是转眼之间,老家的游戏厅所剩无几,大多数都关门了。现在你要是想在中国玩街机,你只能在电脑上通过游戏模拟器来玩了。不过我听说一些大城市里有几家游戏厅不甘落寞,还在继续从日本进口最新的比如音乐游戏等机子,希望它们能生存下去!

……………………………………………………………………

今日の単語とフレーズ


抓娃娃机

UFOキャッチャー、クレーンゲーム、という意味です。直訳すると「お人形さんを掴むゲーム」になります。


例文:

“抓娃娃机太难了,怎么都抓不到。”“孔子曰,抓娃娃机乃储钱罐也,切不可太执着。”“你这是哪个年代的孔子?”


訳文:

「UFOキャッチャー難しすぎるよ。どうやっても取れない。」「孔子曰く、UFOキャッチャーは貯金箱なり。執着するべからず。」「それ何の時代の孔子?」

……………………………………………………………………

訳文

今日のリスニング


こんにちは!引き続き私の子供時代に大きな影響を与えてくれた日本関連の物事をご紹介したいと思います。今日の主人公はゲームセンターとアーケードゲーム機です。日本では50年代末から60年代初めにレーシングゲームやUFOキャッチャーが現れてから、ゲームコーナーとゲーセンはずっと国民に愛されている娯楽です。この熱は隣国の中国にも波及し、特に90年代にゲーセン熱を起こしました。


私の記憶では、ゲーセンが地元の小さな町に現れ始めたのは小学校に入る前、つまり90年代初めの頃でした。横須賀市ぐらいの面積の中国の辺鄙な島で当時同時に7、8店舗ぐらいのゲーセンがありました。因みに今現在横須賀市にも約7-8店舗のゲーセンがあるので(Google簡単調べ)、当時中国人のゲームへの熱は普通じゃなかったことが分かります。


当時中国田舎のゲーセンは日本のそれとは全然違います。最大の違いは二種類のビデオゲームしかなかったことでしょう。一つの種類はマルチプレイヤーの横スクロールアクションゲームで、もう一つの種類は格闘ゲームです。レーシングゲームも、音楽ゲームも、一人で遊ぶステージをクリアしていくゲームも、子供が遊ぶアミューズメントゲームもありませんでした。例えばモグラたたき、ボクシングゲーム、バスケシューティングゲーム頭文字Dパックマンなどどれもありません。これらのゲームは大型ショッピングモールのゲームコーナーで偶に見かける程度です。ただ上海、北京、広い広州などの大都会の大型ゲーセンは別の話です。例えば小さな町では絶対にないUFOキャッチャーもそこでは置いてあったりします。


これだけのビデオゲームしかなかったのに、中国の子供たちの熱中ぶりは変わりませんでした。当時一番人気だった四つのアーケードゲームは「天地を喰らう」、「ストリートファイターⅡ」、「ザ・キング・オブ・ファイターズ ‘97」、「ザ・キング・オブ・ファイターズ ‘98」でした。遊びたい人が多すぎて、みんな並んで待っていたせいで込み具合が凄まじかったので、どのゲーセンも2台以上の機械を置かざるを得なくなりました。因みにアーケードゲーム機のコストが高いからか、金儲けに熱心な中国の店長たちは滅多に機械を変えませんし、新しいゲームも入れません。そのため、90年代から今に至っても「ザ・キング・オブ・ファイターズ ‘98」のようなレトロゲームがゲーセンの主役になっています。そのおかげと言えるどうか分かりませんが、2007年に日本で開かれたアーケードゲーム界最高レベルの大会「闘劇07」で、中国の選手が「ザ・キング・オブ・ファイターズ ‘98」の決勝で会い、ワンツーフィニッシュしました。


アーケードゲームがあまりにも面白かったので、当時の小学生たちは授業をサボってまでゲーセンに通いました。それを知った担任の先生や親たちはよくゲーセンにパトロールに来て、クラスの生徒や自分の子供が遊んでいるか見に来ていました。ゲーセン側も頭がいいので、裏口を用意しました。店長は偶に見張り役もしてくれて、先生っぽい人や親っぽい人がゲーセンに近づくと店内の子供たちに知らせます。子供たちはすぐさまゲームを諦めて裏口から逃げていきます。そのコンビネーションはとても良かったです。私はそこまで賢くなかったので、何度か先生や親に捕まったことがあります。母に耳を引っ張られながらゲーセンから出ていくシーンを今でも思い出せます…


二十一世紀に入って、PCゲームが流行りだし、ゲーセンもアーケードゲームも衰退していきました。あっという間に地元のゲーセンが閉店し、消えていきました。いま中国でアーケードゲームを遊びたいならパソコンでゲームシミュレーターを通してプレイする以外方法はありません。しかし最近一部の大都市でこのまま落ちこぼれるのを甘んじないゲーセンもあると聞きます。この店たちは引き続き日本から音ゲーなど最新のゲーム機を仕入れているそうです。生き残れるよう祈っております!