あなたの知らない中国語!

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2021年7月21日(水) 每天五分钟 中国語リスニング 三十六计敌战计第二计“暗度陈仓” 三十六計敵戦計第二計 「暗渡陳倉」

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「2021年7月21日(水) 每天五分钟 中国語リスニング 三十六计敌战计第二计“暗度陈仓” 三十六計敵戦計第二計 「暗渡陳倉」」

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原文

今日のリスニング


大家好!今天小孙我继续来介绍三十六计敌战计第二计,“暗度陈仓”。“暗度陈仓”这个成语其实还有一个上句,叫做“明修栈道”。合起来就是“明修栈道,暗度陈仓”。“明修”意思是摆明了光明正大地修理和建造,“栈道”是指沿着悬崖峭壁修建的道路。而“暗度”就是指偷偷地渡过,暗中行军,“陈仓”则指的是一条叫做“陈仓道”的古道。这条古道大致的位置据说是从现在的陕西省西部宝鸡市陈仓区附近出发,往陕西省西南部汉中市略阳县方向去的道路。


所以这个成语上下句连起来直译就是:明着修理这边的栈道,看似是准备要让军队过栈道,但是暗中却偷偷地从别的地方的陈仓道行军。这个计策和之前介绍过的“瞒天过海”以及“声东击西”有类似的地方。比较一下我们会发现,典型的“瞒天过海”之计注重的是多次重复一个行为,让敌人放松警惕。典型的“声东击西”注重的是让对方不知道我们是要打东还是打西,从而让敌人产生混乱。而“暗度陈仓”更注重的是用完完全全的假象来欺骗对手,不让对方注意到我方真正的目的。


这个计策来源于楚汉相争时期的一个故事。秦朝末年,项羽、刘邦等各路反秦的将领们纷纷举兵攻打秦。反秦的将领们曾经达成一个约定,谁最先攻占秦朝的首都咸阳(现在的陕西省西安市附近),谁就在关中(现在的陕西省中部地区)为王。结果刘邦最先攻占咸阳,但是当时势力最强的项羽不甘此结果。他自作主张,说是给各路将领封王封地,趁机把刘邦封到了稍微远离关中地区的地方当“汉王”。项羽军事力量强大,刘邦不得不接受这一决定,带兵退出了咸阳和关中地区。


刘邦的谋士张良知道虽然现在大家表面保持了一个和平的状态,但是迟早有一天项羽会举兵攻打其他人来统一中华大陆。于是他献计将汉军撤离关中时走的栈道全部烧毁。一是可以让项羽觉得刘邦今后就打算窝在山里不出来了,对他的霸业没有威胁。二是万一项羽的楚国打过来的时候,没有栈道楚军也很难快速行军,可以给汉军喘息之机。


果不其然,项羽开始一步一步推进其霸业。而刘邦的汉国也逐渐强大起来,准备与楚国一争高下。但是刘邦的部队想要往关中地区进军的话必然遭到楚军的阻挠,于是军师韩信献上了“暗度陈仓”之计。他派了一万多士兵前去大张旗鼓地修理栈道,让敌人认为我军会走这条路。但是实际上却让大部队从陈仓道这一条非常绕远路的路线进军。栈道因为是修建在悬崖峭壁上的,所以休整需要花费很长的时间。楚军因此中计,觉得离汉军打出来还要等很长很长的时间,所以就没有太加防范,而是优先先去解决其他小国。


结果大家肯定也猜到了。汉军没有遇到太多的阻碍便攻下了咸阳,占领了关中地区。这就是“暗度陈仓”的由来。在现代汉语中这个成语的意思是“在背后偷偷地做活动”,属于中性词。有的人认为“暗度陈仓”还可以指男女偷情,不过这个用法很少见。如果真的要用的话建议加上说明哦!

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今日の単語とフレーズ


绕远路

遠回り、という意味です。


例文:

“司机师傅,你这不是绕远路么?”“没办法啦,这个时间堵车啊!”


訳文:

「運転手さん、これ遠回りですよね?」「仕方ないですよ。この時間混みますから。」

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訳文

今日のリスニング


こんにちは!今日は引き続き三十六計敵戦計第二計 「暗渡陳倉」についてお話ししたいと思います。実は「暗渡陳倉」には上の句「明修桟道」があります。合わせると「明修桟道、暗渡陳倉」と言います。「明修」はあからさまに堂々と修理建設することで、「桟道」は崖沿いに作る道のことです。また「暗渡」はこっそり渡る、ひそかに行軍するという意味で、「陳倉」は「陳倉道」という古道を指します。「陳倉道」は現在の陝西省西部宝鶏市陳倉区辺りから、陝西省南西部漢中市略陽県へ向かう道だと言われています。

 

「明修桟道、暗渡陳倉」を直訳すると、あからさまに堂々と桟道を修理し、この桟道から軍を通すように見せて、実は暗に陳倉道という別の道から行軍する、という意味です。この策は前に紹介しました「瞞天過海」や「声東撃西」と似ている部分があります。比較してみると、典型的な「瞞天過海」策は何度も同じ行動を繰り返し、敵を油断させることに重点を置いています。典型的な「声東撃西」は東から来るか西から来るか分からなくさせ、敵を混乱させることに重きを置きます。一方「暗渡陳倉」は完全なる虚像で相手を欺き、こちらの本意に気付かせないのが主な目的です。


この策は楚漢戦争でのある物語に由来します。秦王朝末期、項羽劉邦など反秦の将たちが皆挙兵して秦に反旗を翻していました。その時、反秦の将たちの間に一つの約束が交わされます。一番先に秦の首都咸陽(現在陝西省西安市辺り)を落とした人が今後の関中(現在陝西省中部一帯)の王になるという約束でした。結果劉邦が一番先に咸陽を占領しましたが、当時一番勢力が強い項羽は面白いと思いませんでした。項羽は勝手に各将に王位と土地を分け与えようと言い出し、わざと劉邦に漢中から少し離れた場所の土地を分け与えて、漢王としました。強大な軍事力を持つ項羽を前にして、劉邦は渋々この結果を受け入れました。彼は兵を率いて咸陽及び漢中地域から出ました。


劉邦軍に張良という策士がいました。彼はこれは表面上の平和だけであり、いずれ項羽が他者を攻撃し、中華統一を狙うだろうと踏みました。そこで張良劉邦に一計を提案しました。漢中から撤退する時に漢軍が通った桟道を全て焼き払いました。利点として、一つは劉邦はこれから山奥に引きこもり、もう出てこない、項羽の覇業の邪魔をしないと項羽に思わせるためです。もう一つは、万が一項羽の楚の国が攻めてきても、桟道がないのでは進軍も素早くできず、対応の猶予がもらえることです。


思った通り、項羽は一歩ずつ覇業を推し進めていきます。劉邦の漢の国も次第に強くなって、楚の国と雌雄を決する時が来ました。しかし劉邦軍が漢中に進軍する素振りを見せれば、当然楚軍の邪魔が入ります。そこで軍師である韓信が「暗渡陳倉」の計を献上しました。彼は一万もの兵士を派遣して、大々的に桟道を修理し始めました。まるでこの桟道から軍を進めると言っているようですが、実は主力部隊を陳倉道という非常に遠回りの道を通らせました。桟道というのは断崖絶壁に作られる故、整備するのに非常に時間が掛かります。楚軍はこれを見て、漢軍が出てくるまでまだまだ時間が掛かると思い込み、完全に策にハマりました。楚軍は漢軍に対してあまり守備を敷かず、先ず優先的に他の小国への攻撃に兵を回しました。


結果は皆さんもお分かりでしょう。漢軍は難もなく咸陽を占領し、漢中地域を占拠しました。これが「暗渡陳倉」の由来です。現代中国語においてこの四字熟語は「裏でこっそり何かをやる」という意味で、褒貶の色を持たない中性的な言葉です。男女の密会という意味もあると主張する人もいますが、あまり見かけない使い方です。どうしても使いたい時は説明を加えるといいでしょう。